東京国立博物館 特別展「和様の書」第3展示期間 その2

#その他芸術、アート

A級順位戦の久保VS佐藤戦は5四歩で爆笑。形によっては盤上最悪手にすらなりそうです。神吉流中飛車より条件がさらにいいはずですが、成立するんですかね?

続いての5三金に、勝ち切ったのも流石です。

佐藤九段は強烈な攻めの手が得意で、康光野蛮流なんて呼ばれたりしますけど、私は佐藤九段を観るといつも大山十五世名人を思い出すんですよね。

大山十五世の一番有名な格言で誰もまねしないものに「最初のチャンスは見逃せ」というのがありますけど、若いころの大山名人は力戦形が多いんですよね。変なことをやって定跡から外れることが多いんですよ。

おそらく普通の人にはチャンスに見えない手がチャンスに見えていた。そこで決行すれは佐藤九段になるし、堅忍自重をすれば円熟期の大山名人なるんだと思うんです。

時代もありますけど、佐藤九段のほうがより序盤戦術の進歩において自覚的ではあると思いますが。

雀風もかなり大胆で強気なものだったそうですが、そこらへんが本来の本質なのだと思います。升田九段との攻防の中でそれを改良して行ったんだと思うんですよね。

8月2日のスーパーJチャンネルではいわきの海水浴場にお客が来ないのを「風評被害」として取り上げていましたが、こだけ汚染水が流出していていまだに風評被害という言葉を使うのか。

検出はされていないといいますが、水とは流動的なものであって、局所的に高い汚染水が流れてくる可能性を科学的に否定できないでしょう。それを計って網羅できているかのような伝え方はおかしいのではないか。

そもそも原子炉の状況は安定しているというにほど遠く、使用済み核燃料もあります。福島への旅行自体が避けられても当然といえる状況なのです。

番組中で東電に賠償を求めるようなことは全くなく、いかにも来ない海水浴客が悪いかのような報道はまさに原子力ムラそのものといえるでしょう。

彼らが賠償を受け取れないのはそのせいもあるのですから、もう、テレビ局がたてかえるのも一案なのではないでしょうか。

萩谷コメンテーターは「放射能が検出されていないのでまさに風評被害」としていましたが、この状況でそれだけをしゃぁしゃあと言える感覚が、極めておかしいといえます。

しばらして、フラッシュニュースで安倍内閣が集団自衛権の議論を始めたということをやっていましたが、このニュース、意外とアメリカの言うとおりに動けるようにするための改正だ、ということを知らない人がいるんですよね。常識だと思っていても、全くそういう話を知らないという人がいるんですよね。

これはやっぱりテレビでやっていないからだと思います。

サンデーモーニングでは「内閣法制局長官に小松フランス大使起用へ」(http://www3.nhk.or.jp/news/html/20130802/k10013478991000.html)をフラッシュニュースで。

番組中では説明がありませんでしたが、この異例の人事には、安倍内閣と集団的自衛権の解釈であうことに因るものであることを、国民は知らされねばなりません。

これについては、田中優子さんが、国民がしっかり見守っていかないとそれこそナチスのようになってしまう、とコメント。

「ナチス」という言葉を入れるのは勇気が要ったと思うのですが、ちゃんと入れました。

サンデーモーニングの「風を読む」では、責任のあいまいさは日本文化である、といういつもの電波特集。

昔は潔かったと思います。4、50年くらいまでそういう部分はいくらか残っていたとも聞きます。

特に江戸以前の日本人に極めて非礼だと思います。日本は切腹をする国です。おそらく比較しているだろう、西洋の歴史はどれだけ責任を取っているのでしょうか。

VTR中の大江健三郎さんがいう「曖昧」は文学的な豊かさのことです。

フロイスのいう日本人の間ではあいまいな言葉が価値を持つというのは、曖昧な言葉で通じているから、曖昧にしゃべっているのであって、曖昧にしゃべっている主体が意思を表明したり、責任を取ることについてあいまいなのではない。源氏物語に主語がないといって責めているのとレヴェルが変わらないと思います。

こういったことは、東電や原子力ムラの個人の責任の問題であって、文化の責任では決してありません。涌井雅之さんがいくらか触れましたが真実は逆で、むしろ文化を見失っているのです。

もうこの番組は泣きながら、謝罪をして、番組の歴史を閉じた方が良いと思います。

以前だったらそうだそうだと皆で突っつくところだと思うのですが、スタジオに戻るといくらかこのVTRはおかしいのではないかというニュアンスの発言が。

一番VTRをそのまま受けていた大崎麻子さんは、明治の時に個人主義を輸入できなかったという紋切り型の「エートスが輸入できなかった論」を繰り返し。これが一番の真逆の方向に進ませる、間違いのもとの認識です。小室直樹系の影響が強いといえるでしょうか。

お騒がせしたことに謝罪する。という言葉のおかしさについて言っていましたが、これは当然その通り。こういう時に人として使ってはならない言葉だと思います。

金惠京さんの、昔は潔かったのにアメリカの責任を取らない文化が入ってきた、アメリカ人は非を認めない、グローバリズムの影響でここ2、30年で変わってきた、というのが一番正しいと思います。横の大崎さんや関口さんは不満そうにしていましたが。

悪い時にだけ、桜が散る影響とか言って、こういうときには都合よく曖昧な影響という。個人の責任をすべて文化のせいにしていく、テレビとその背後で日本人論を展開している人間にはまったくもって我慢なりません。

このような原発報道のときには個人の責任を抉り出して、個人名で報道するのがジャーナリズムというものです。それを文化の責任にな擦り付ける。一番非近代的なのはあなたたちではないか!

岸井成格毎日新聞主筆はこれまた常套的な「和を以て貴しとなす」を出しましたが、これは豪族が争っているときに出されたもので、きちんと議論をしろという内容もつけていてバランスをとっているものの一部分をくりぬいたものです。恣意的な間違いと言えます。

この人はいつも挙動不審で意見という以前の論外な話しかしませんよね。

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