行って参りました。
会場中をものすごく詳しい男が女性二人に説明しながらまわっていましたけど、あれは何なんですかね?
以前こういうのに誘うと称した詐欺がありましたけど、私がそういう解説している集団がいた、ということをブログに書いていくらかたったころにこの詐欺が発生したので、なんのこっちゃ、と思ったのですが。詐欺に精根を傾けるのではなく、普通にやって儲けていただきたいところ。
茶道史としては、僧侶の墨跡などが掛けられていたのを、武野紹鴎がはじめて古筆を茶席に掛けたのが画期的だったとのこと。確かに古筆は違和感もありますけど、どうなんですかね。
作品は好きな人にとっては物凄いものがたくさんそろっていましたが「四季草花下絵和歌巻 本阿弥光悦筆 1 巻 江戸時代・17世紀 個人蔵」は解説にも「最高傑作」とある長大な光悦の巻物。得意の花であるとか、鴫が飛び立つ風景を描いていますが、この典雅で静寂な空間は筆舌に尽くしがたいです。
個人蔵だそうですが、誰が持っているんでしょうねぇ。
意外と昔からの「伝」の表示のままで作者名を示しているものが多く「古今和歌集 巻第五(高野切) 源兼行筆 1巻 平安時代・11世紀 個人蔵」を源兼行と断定している以外は、大体は伝承筆者のままの表示。
いわゆる高野切第三種である「古今和歌集 巻第十九断簡(高野切) 1巻 平安時代・11世紀 東京国立博物館」や同系統の「粘葉本和漢朗詠集 伝藤原行成筆 2帖 平安時代・11世紀 宮内庁三の丸尚蔵館」は本で藤原公任ではないかという説を聞いていたのですが、ウィキペディアには藤原公経ではないかという説しか記されていませんね。これだけ筆跡鑑定の技術が進んだ現代でも、グループ分けぐらいはできても、資料の制約から筆者を断定するには至らないということでしょう。
普段から複製をネットや手元で観ているものも多く「国宝 古今和歌集 巻第十二(本阿弥切) 伝小野道風筆 1巻 平安時代・12世紀 京都国立博物館」など、コロタイプだとかすれすぎていて判読できず実に頼りないのですが、実物は繊細かつ典雅な書風に、料紙の良さが際立っていました。
カタログは出品作品に釈文がついていて、素晴らしいのですが、すべて断片だけなのは致し方がないともいえるでしょう。
こういったものは国などが責任をもって、高精細ですべて撮って、釈文と解説をつけてネットで公開するべきだと思います。それが文化の伝承というものではないでしょうか。
二玄社のシリーズや岩波の一部のもののような情報が、高いお金を出さないと手に入らないような状況は、ネットの時代としておかしいと思います。
全体として、競う様に典雅な書体が素晴らしく、貴重としか言えない作品を沢山観ることができました。ありがとうございました。
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