文春の宮崎駿さんと半藤一利さんの対談を読みましたけど、海軍が三国同盟に賛成したのは、あちらで学んだ人たちがドイツのハニートラップに引っかかったから、というのは本当なんですかね?
半藤一利さんは私がどうかなと思う歴史家の一人で、対談中でも日本が「持たざる国」であることを強調していましたけど、無策に膨張しなければ、十分その中で足りていたはず。
日本は海岸線が長くて守りにくい、だから朝鮮から満洲へ行った、というのも典型的な「坂の上の雲史観」で戦前を真摯に反省しない人間の詭弁に属する言い訳のようにしか思えません。
持てる海軍力などで、十分日本一国は守れたはず。
ただ司馬遼太郎という人は小説を書くときは誇張を挟む人で、ここもわかりやすく日本の戦う意義を強調した可能性があります。意外と随筆などではこういった史観を披歴しているところが少ないように思います。
私は坂の上の雲は氏の他の随筆などをあらかた読んでから目を通し始めたのですが、日本に向かって腕のように朝鮮半島が突き出ている云々の所は、氏の生涯中の文章の中でかなり異質で、読んでぎょっとしたのを覚えています。他にこういう表現はしなかったのではないか。
僕はやっぱり日露戦争は合理的な思考ができる人間がやむにやまれずに起こした戦争だと思うなぁ、というようなことを言っていましたけど、そこらへんに認識がとどまっている印象で、氏の小説の信奉者より実際は穏健な印象があります。
なので司馬小説の一部のファンは「坂の上の雲」を典拠に批判されても、真意を理解していないと思うようなところがあり、結局坂の上の雲が今日まで生き残る構造を形成してしまっていると思います。
私が氏の随筆を網羅した限りでは、日露戦争が防衛戦争だったか否か、ということに本人はあまり興味がなかったように思います。
なのでその部分を強く批判しても焦点がぼけていて、暖簾に腕押しの感があります。氏は局所的に防衛戦争か否かということではなく、ここでははるかに高雅なことに焦点を当てていたのです。
彼の興味は日本人のリアリズムがいつ途切れたか、というところにあり、それは日露戦争だった、というところにありました。
江戸期までの遺産が食いつぶされたのが日露戦争までであり、氏がたどり着いたその結論こそを、我々は彼の遺産の中から核心として学ばねばなりません。(http://blogs.yahoo.co.jp/ffggd456/52383675.html)
最近は「右傾エンターテインメント」という言葉をよく聞きますが、「坂の上の雲」は元祖なのでしょう。しかも本人は他の文章ではどうも考え方が違うという・・・・。
半藤さんに戻ると、また、阿川弘之系列の海軍善玉論を受け継いでいるところも見逃せないでしょう。山本五十六は航空機を重視していた、と対談中書かれていますが、そのように言い切ってよいのでしょうか。
学会的にどういう結論になっているかは知りませんが、私は海軍善玉論は戦後に作られた虚構であるという説に説得力を感じています。
また氏の著作を見ると、間違った俗説が平気で載っていることが結構多いんですよね。
戦後の統治をしやすくするために流布された説だと思うんですが、天皇に関しても、あまりに善人的に扱い、責任を軽くとらえているように思います。
NHKの放送も録ったので見始めてみたのですが、どうも半藤さんを受け付けなくて、リタイア。無理はしないに限りますね。
対談に戻って、戦中に幼年期を過ごしたものの同窓会のような趣があって、これを振り返るための組み合わせだったのだなと納得。
新作の主人公のモデルには父親も混じっている、ということで、宮崎監督にとっての菊次郎の夏にもあたる作品なのでしょう。
宮崎監督の軍事や文学に対する知識が並大抵ではなく、トトロなども東京近郊の自然がアニメで取り上げられたのは初めてだ、と語っていましたけど、逆に言うとほかのジャンルではあったことを意識しているわけで、伝統的な武蔵野に関する美術・文学の蓄積の後継として作られたのだなと思ってなるほどと思いました。
トトロは宮沢賢治の「どんぐりと山猫」の世界観や、自身の幼年時代が投影されているとも言いますが、いろいろなものが合わさって組上げられているものです。
堀越二郎がゼロ戦が試験飛行で飛ぶのを見て「美しい」といったのが本音ではないか、と書かれていますけど、これは、理系の世界で美しいものが優れたものだ、といわれる通念をなぞったものではないですかね。そういう意識もあったのではないかと感じます。
自民党の源田議員が10万人が死んだ東京大空襲を指揮したカーチスルメイに勲章を与えたことも触れられていましたが、こういう人は、たぶん感覚的・身体的に日本人と切れてしまっている人なのでしょう。そういう人を生み出してしまった教育の罪深さを思います。
「絵草紙屋」とも自分のことを語っていましたけど、江戸時代の浮世絵の系譜の最大の後継者が宮崎監督なのでしょう。
「(池上彰の新聞ななめ読み)全柔連・上村会長インタビュー 「柔よく剛を制す」力量を」(http://www.asahi.com/shimen/articles/TKY201307250640.html)は「もっと追求すべきだった」と記者のつっここみの足りなさを嘆いていて、その通りなのでしょうけど、結局のところ上村体制の後ろで指示を出しているのは嘉納家のようで、ここに迫らない記事は五十歩百歩のように思います。そういう意味では記事も批判記事もある一定の範囲を出ていないという意味で同じ土俵にいるといえるでしょう。
「夏の甲子園2013神奈川予選、松井裕樹率いる桐光学園敗れる」(http://zizinetanews.seesaa.net/article/370284656.html)は本当に運が良いと思います。ほっとしたスカウトも多いのではないでしょうか。また連日の炎天下が予想されていますが、大手メディアはどこも疑問を呈さないのでしょうか。他の報道とダブルスタンダードだと思います。
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