太田記念美術館 楊洲周延「東錦昼夜競」-歴史・伝説・妖怪譚」その5

#その他芸術、アート

「オイコノミア」の「地方が元気にならなくちゃ」では福井県民が一番ブランド物を好む、ということをやっていましたけど、共働きであるということで説明。やはり原発の影響が大きい可能性は高いでしょう。解説の人も、あくまで自分の説と何度も念を押していましたから、そういう要素も視界に入っている可能性がありますね。

また、ゆるきゃらを取り上げて地域おこしの好例としていましたけど、これは公務員の仕事を増やす意味が非常に大きいといわれています。

国の矛盾を話さないと本質的な話ができないことが経済を扱う上では非常に多いですが、公共放送ではそのようなことはできないということなのでしょうか。それは講座とはいえ非常にまずい状態だといえます。

大本営発表になっていはいけないので、報道機関の常態は国を適正に批判することであって、それ以外をイレギュラーであるととらえるくらいが当然だといえます。特に戦前・戦中に大本営発表に陥ってしまった反省として国民から直接聴取料を徴収しているNHKは当然のごとく率先してそのようにあらねばならないのです。

ラジオやテレビではアメリカにケロイドを直しに、慈善団体に招かれて手術を受けに行った人のことをやっていましたが、日本では人体実験されるから、そのままいついてしまったとのこと。年頃になっても集団の前で裸にされて調べられていたとのこと。

その後、被爆を受けているのでアメリカでの縁談も破談になったそうなんですが、それはともかくとして、補償が出ないのが一番よくないと思います。特に高度経済成長以後の日本は出せるだけのものがあったはずで、それを出さないのは拝金主義以外の何物でもないと思います。

8月13日のスーパーJチャンネルでは、夫が出征して帰ってこなかったという話をやっていましたが、これも責任について触れないのは、むしろ戦争を振り返ったかのような錯覚を振りまいてマイナスと言えます。特に公共の電波を使っているものとして責務を果たしていません。

続いてはピロリ菌の除菌について。これは以前から言われていたのですが、保険が適用されるようになってからいきなりたくさん宣伝されだした感じ。保険適用になったことについて、効果が認められた、からと番組中では説明されていましたが、本当にそうなのかというのが、中期的に観ていての印象。
テレビでは保険適用がどうこうではなく、治療の効果を中心に、報道の量を決めて欲しいところ。

「東電「再稼働なければ値上げ」 金融機関に試算提示」(http://www.nikkei.com/article/DGXNASFS1300D_T10C13A8EB2000/)とのことですが、まずすべきは電気料金で賠償費用を払ってよいのか、ということに関する国民的な議論であり、さらに廃炉におけるそれも欠かせません。

また、経営者や株主、銀行など貸手や政府の責任を取るべき人間が責任を取ってからの話であり、まったく話になりません。解体して、売却できる資産もいろいろあります。

そしてその普通のことを報道しない大手メディアはさらに話にならないと言えます。

8月13日の報ステのトップは熱中症で死亡が頻発しているという話。

認知症の老夫婦が死んだ話など、主に老人が死んだ話でしたが、老老介護で、これは自民党の推し進める在宅介護の招いた必然的な死です。

スタジオでは古舘さんは「家族の形」を問題にしていましたが、この期に及んでも政策の問題に触れない大手メディアに、このような死を招いた大きな責任があります。

それを受けた倉本聰さんは、おじいさんおばあさんが子供を見るべきだという、頓珍漢な答え。老人が弱って沢山死んでいるときに、子供を世話をする話をしても意味がないでしょう。

このような悲劇的なニュースを受けて、このような話に入っていく感覚は、極めておかしいとしか言えません。

倉本聰さんは「桃太郎」を引いて、むかしはおじいさんおばあさんが子供を育てていたのではないか、ということを言っていましたが、江戸時代から核家族はかなり多かったといわれています。

江戸時代というのは田舎にしても都市にしても、捨て子は村の育み、などといって、地域で子供を見ていく仕組みがしっかり都市でも農村でもシステムとして備わっていたことが見逃せないでしょう。

それが家族単位にゆだねてしまう現代と決定的に違うところで、これは自治体内で自然に子供をはぐくんでいくべきだとともに、行政サービスを充実させて補っていく部分であるといえるでしょう。

倉本さんの提言のようにやっていくと、かえってかつての日本の子育ての実態から遠ざかってしまうといえます。

特集は沖縄戦で負傷した兵士を青酸カリをもって殺したという話。そのまま放っておけばアメリカ軍が助けてくれたでしょうから、まさに殺人以外の何物でもありません。

老人の面倒を見ないよと宣言したかのような現代の政治にも、似たような冷たさを感じるというべきでしょう。

この時はアメリカ軍にも犠牲があり、シュワブ、ハンセン、など沖縄のアメリカ軍基地の名前はこの時の犠牲者のものです。
だから沖縄に無理に基地を作って離れない、という部分にはそういう意味もあり、まさにこの時日本の犠牲は無駄死にどころがマイナスのものだったといえるでしょう。

そしてなぜこのような犠牲が生まれたかというと、それはすべて指揮系統の責任なのですが、相変わらずその話はありません。

「これが戦争だよ」という、看護をしていた方の大人からかけられた言葉、で〆られていましたが、特に今回の特集で取り上げられた悲劇は敗戦が確定した時点で降伏していれば避けられた犠牲で、「戦争」なるもののせいではなく、完全に人災です。

特に戦争というのは本来趨勢が決まったら、講和をするものなのです。常道からはずれてしまったからでもあって、決して「戦争」なるあたかも個人がかかわっていないかのような概念のせいではありません。

これは政府中枢の個人の責任であって、決して「戦争」なるそこにあたかも自然にあるかのような物言いで表現されるもののせいではありません。

そのことに触れない特集内容には怒りを禁じえません。

スタジオで倉本さんは最後に「お母さん」と青酸カリを盛られた兵士が苦しんで言ったのを、お母さんを守ったよ、という意味かもしれない、と言っていましたけど、これは最大の歴史歪曲といってよいでしょう。もはや人間とも思えないような感想です。

この人はかなり戦前を賛美した、軍国主義的な傾向の作品を作っていますから、そういう方向性に進めないと困るのでしょう。またそのような人を起用し続けてきたテレビ局そのものも、強烈に問われているのです。

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