太田記念美術館 楊洲周延「東錦昼夜競」-歴史・伝説・妖怪譚」その6

#その他芸術、アート

「安倍首相 靖国参拝せず私費で玉串料奉納へ」(http://www3.nhk.or.jp/news/html/20130814/k10013762461000.html)はまた国際社会での孤立を招くだけで、例えば領空侵犯されたとして、周囲から自業自得としか思われなくなります。まさに売国的な愚挙です。

また、テレビはこういったことで引き起こされる経済的な損失について語りません。石原の差別発言やかえって国際的な白眼視を引き起こした尖閣購入。野田の信義違反についても、報道されないばかりではなく、経済的損失と全く結びつけられて語られないのです。

8月15日の玉川さんのそもそも総研では戦後のまとめということで、日米関係などについていろいろな識者に聞いていて、小沢一郎にも聞いていましたけど、3Kが何とかとか、そもそも表現が悪く、言葉も選べないのかと思いました。支持者の方々にはしっかり見ていただきたいところ。

右傾の代表として一水会の人を出すのもおなじみですけど、本当に右翼なのか疑問ですし、すくなくとも当世風の「右翼」とはかなりずれているでしょう。これで右系の意見は抑えた、とする感覚があるとしたら疑問のように思います。

8月15日の「アンビリーバボー」ではシベリア抑留を取り上げていて、所持品が許されない中、一人の遺書をみんなで分担して暗記して遺族に届けた、という話。そういうことがあったんだ、と思わせる内容ですが、当然のごとく責任についての言及はなし。

特集を観て、再び瀬島龍三に対する怒りが禁じえません。シベリア抑留者をソ連に売り渡した張本人であり、戦前も大きな作戦失敗をした、といわれていますが、戦後も中枢に食い込み続け、高度経済成長後に原発を建設し始めた中曽根内閣ではフィクサーといえる立場にありました。

こういうことを一言で直截的に表現すれば、エリートコースに乗った人間は責任を取らなくてよい仕組みを明治以来やってきたわけです。それは優れた人材を残していこうという思いもあって取られてきた方策でもあると思うのですが、そのような結果になっていない。逆に腐乱した人材ばかりを中枢に抱え込む結果になっている。

それは戦争を振り返っても、原発事故を振り返っても明らかです。

現在の社会システムは、選抜方法としても、育成方法としても、優れた人間を登用するシステムとしてあまりに稚拙であり、大きな障害を抱えていると言わざるを得ないのではないでしょうか。そのことにそろそろ日本全体として気が付かなければ、どうしようもない時期に来ているといえます。

戦争特集はいろいろ見かけましたが、責任について踏み込んでいるものは一つも観ません。

責任についてやらなければ、百万言費やそうとも、いくら映像を流しても、道義に対して果たす責務はゼロです。

終戦記念日の報ステでは「リベラル保守」と字幕で解説がある中島岳志さんがゲストで、間など陛下の言葉の素晴らしさについて述べていましたが、やはり僕は京都に行くなど区切りが必要だと思います。讃える前にそのような提言が必須だと思います。

天皇については玉音放送について、TBSの荻上チキさんのラジオでやっていましたね。

竹山昭子さんによると、難しい漢語ばかりを使っているのは天皇の権威を保つためだ、「やさしい言葉で国民に理解させようという配慮はなかった」といっていましたけど、政府が言葉を伝えるためではなく、虚飾のために使うようになることは、国の存亡と直接的な関係があるといえるでしょう。

伝えることより「天皇の権威づけのほうが大切だった」とのこと。

また、坂本慎一さんによると、国民全体で纏まって終戦に向かうために、天皇の格式を保つ必要があった、というお話。

伝わらない言葉で話して権威を保つも何もないと思うのですが。

現代語訳が読み上げられましたが、玉音放送内で天皇は、侵略する意図はない、とありましたけど、いくらなんでも無理がありすぎます。

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