たばこと塩の博物館 渋谷・公園通り たばこと塩の博物館物語 35年の感謝をこめて その1

#その他芸術、アート

8月16日の報ステは「奈良・中1自殺 いじめ証言40件…生徒アンケ」(http://osaka.yomiuri.co.jp/e-news/20130816-OYO1T00632.htm?from=main1)をやっていて、相変わらずの隠蔽体質ですけど、隠蔽すると得をしてしまう、教育委員会の出世の構造が一番の問題です。永遠に直すつもりがないのでしょうか。吉本重男市教育長は時より何がおかしいのか吹き出すように弁明していましたが、まったく何も響いていないのでしょう。

片山元総務相もいろいろ言っていて、隠蔽体質を直さなくてはいけない、といっていましたけど、結局急所は出世のシステムで、ぼやけた当り障りのないことを言っている印象を受けました。

続いての福島からの避難生活をされている方を取り上げていましたけど、今までの仕事はなく、子供はふさぎ込み、避難先でなじめず、本当に過酷としか言いようがない状況です。

避難をすることで社会関係資本を丸々失ってしまったわけで、この分の賠償を手厚くするのは当然のことではないか。全く本当に棄民という表現以外は見つかりません。
ここの家族は特に母親がしっかりしているから何とか持っている感じですね。

古舘さんが、具体策は、と政治家でもある、片山元総務相に迫っていましたけど、「密に」といった言葉を言う程度で、抽象的な言葉に終始していたといえます。

また東電にお金が足りないこと、汚染水問題を鑑みて、古舘さんが片山さんに話を振りましたが、大体なしのつぶて。仕方がないということなのか、古舘さんが早口で株主の責任や「銀行」という単語を出しましたけど、本当は古舘さんではなくコメンテーターが出さなければいけない単語ですよね。いったい何をやっているのか、どうしようもないな、というのが感想です。

「本をバラさず読み取れるA3対応ドキュメントスキャナの実用性は? – PFU「ScanSnap SV600」を試す」(http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130812-00000088-mycomj-sci)という製品が出ましたけど、今度は挟み込むだけで読み取れるようなものがあったら理想ですよね。

「【夏の甲子園】花巻東“大谷超え”1勝!東北勢史上初5県が初戦突破」(http://hochi.yomiuri.co.jp/baseball/hs/news/20130813-OHT1T00230.htm)というのは温暖化の影響は大きいのではないでしょうか。暑すぎて西日本で練習しづらくなっているのではないかと思うんですよね。

これはもう、三内丸山に遷都するしかないですねぇ。

あらゆる気象の報道では、去年まで節電、節電といっていたのに、今年はクーラーをつけろとしつこいくらいです。今までの節電報道と同じく、どこからか一か所から報道の方針の通達が出ていて、すべての局でそれをなぞっているのではないかと推測できます。

去年までのピークカットも無い、偽の電力不足キャンペーンをそのまま報道して、たくさんの犠牲者を出したことは重大なことで必ず振り返って責任を取らなければなりません。

そしてその奥にあるさらなる問題は、このように一か所(たぶん国)の方針ですべてが動いてしまって、全く疑問も多様性も失ってしまう報道の在り方、システムです。

TBSの報道特集では戦死した高校球児の話をやっていましたが、当時の年寄りは「戦争はやっちゃいけない」というのに対して、インタヴューされた現役の高校球児が、召集されたら国のために戦うしかない、やられるだけでいるわけにはいかないから戦う、といった「勇ましい」ことを言っていたのが印象的。全体の中からそういったコメントをピックアップした可能性もありますが、やはり他の媒体のいろいろな情報をみていますと、若い世代全体にこういう考え方をする傾向はあるのでしょう。

国のために戦う、とか、国のために戦った、などと、戦争に行くことを「国のため」と表現してしまっているのが非常にまずいと思います。

軍部に嘘をつかれて侵略戦争に駆り出されて死んだだけで、彼らは「国」のためには死んでいません。一部の人間の利益や権力を得るためだったり、無責任や、気まぐれのために召集されて死んだのです。そしてそれは、今後何か紛争が起こったとしても、その内容は変わらないでしょう。

一方、戦中の世代は戦争を嫌っているようでもありますが、そのような総括をしなったのがいけないと思います。「戦争」というあたかも抽象的な現象がいけないのではなく、勝手に戦争を起こして嘘をつき続け、利益をむさぼった人たちがいるのです。そのことをしっかり追求してこなかった、もっというと無視してきたことが、現代にこのように戦争に行くことがいかにも「国のため」であるかのように錯覚してしまう世代を生み出してきた元凶であるといえます。

そしてそのことを改めるには、今からでも戦争の総括をしなければなりません。責任を取るものは取って、社会的に歴史を総括し、過去に区切りをつけなければいけないのです、

そしてそのことをまっさきにするべきメディアは、この番組をはじめ、戦争というものがあたかもそこに落ちているものであるかのように報道し、責任について全く問おうとはしないのです。

久米さんのラジオでは終戦という言葉はおかしいのではないか、ということをいっていて、早く降伏すればたくさんの人がなくならないで済んだ、というお話。

全くもってその通りで、どこをどうみても敗戦です。しかし、敗戦と言葉を使うと責任論につながり、あたかも勝手に終息したかのような終戦、という言葉が、戦前の体制を温存した戦後に主流として流通したのでしょう。

今後はそのようなごまかしは一切通用しない!

と強く宣言したいところ。

しかし教科書にまで終戦と書かれる経緯は一体何なんでしょうね?誰がどのような権限で終戦にしたのでしょうか。

これではいつまでたっても日本は「起」が始まりません。

この前中曽根や瀬島龍三の話をしましたけど、そういう流れが原発建設に主導的な役割を果たしているんですよね。

やはり軍人的な発想で原発が導入されたのがよくわかると思う。経済成長を成し遂げて、お金に余裕ができたので、危険度外視・赤字覚悟で核を持ちたいな、と思って導入されたのが原発なのだと思う。

やはりここでも戦前・戦中をしっかり総括せずに、軍部的なものを温存してきたのが、今回の破局を招いた原因だったといえるのではないか。

8月18日のNHKの午後10時台のサンデースポーツでは甲子園と戦争について振り返っていて、スタジオで総括して、平和の中でできることを~といっていましたけど、平和を壊すものは何かといえば、情報隠しです。隠し事が戦争へ向かわせるのです。
NHKの体質でよく言うな、というのが率直な感想です。

「中部電力の越境 業界秩序から決別せよ」(http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2013081702000130.html)のニュースでは、都が中部電力の電気を使い始めることになりましたが、旧来の電力体制を維持しつつ東京に東電以外の選択肢を用意する方策であるといえます。
やはりすべて経産省が絡んでいるのでしょう。玉川さんのppsを潰すためじゃないか、という予想は当たっていますね。

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