8月22日の玉川さんのそもそも総研では新潟の泉田知事がメディアで変人扱いを受けている、という話で、松尾さんが言うには論理で勝てないと人格攻撃をするしかないとのこと。
古賀さんの、変人扱いは反対意見を除外するための官僚の常套手段だ、という話がありましたが、ではなぜその官僚=原子力ムラのやりかたそのままに、紹介された朝日・産経をはじめとしたメディアは乗ってしまっているのか、という部分が非常に重要ですが、さすがにこの場では取り上げられませんかね。
いろいろな性質のメディアを観て、意見を決めよう、というのが今日の結論。
8月21日の荻上チキさんのラジオでは介護労働市場についてやっていて、「やりがいの搾取」(荻上)という言葉は簡潔でよい表現だと思います。これや「善意の人たちに甘んじて、お金を出していない」(結城 康博)といったことが本当にすべてだと思います。
「正直言うと自分でやってください、自助ですか、そういう形になって行っている」(結城 康博)とのこと。
また現場では同じお金しかないのに、どんどんサービスの向上が求められているとのこと。
世の中には競争させるとどんどん成長する分野があって、たとえば電力など、自由化すると安くなるといわれていますが、細かいところはともかくとして、基本的に競争や自由化になじまない職種があると思います。介護は典型なのではないでしょうか。
ただ、この分野もやはり競争自体はあると良いもので、さじ加減を非常に間違えているように思います。
8月21日の報ステではまた汚染水問題を取り上げていましたが、恵村コメンテーターは専従の閣僚を置いたらどうか、というくらいで、株主以下の責任や、東電の本格的な国有化には触れず。ジャーナリストをやっていて恥ずかしくないのでしょうか。
計画停電は本当に納得できず、真実は究明されるべきだと思います。死者すら出ていますし、誰か訴えるか、訴えやすい仕組みを弁護士が作るべきではないでしょうか。
今月号の新潮45のドナルド・キーンさんの日本文化論は、長い経験に裏打ちされた滋味深い文章。
こういう外国の方が、日本文化の本質をとらえて、今に至るまで発信し続けてくれている、ということに、深い感慨を覚えざるを得ません。文章自体も古典のような、簡潔な美しさを感じさせるものだと思います。
片山杜秀さんの司馬遼太郎論もありましたが、こちらも面白い文章。
司馬遼太郎さんは日本(http://blogs.yahoo.co.jp/ffggd456/52958592.html)
や中国が嫌いで「日本のモンゴル化」の夢を持っていた、というのは正しいと思います。そこで重要なのは司馬遼太郎さんのモンゴル観で、「エンプティ」という言葉で代表されるような認識を持っていたんですよね。(http://blogs.yahoo.co.jp/ffggd456/53057021.html)
実際は豊かな文化を持っていたのですが、馬賊の国で、何もないところであるという失礼な認識でした。
この認識がアンチ文化性――――中国文化が嫌いで、禅宗が嫌いですから、アンチ文化にならざるを得ないですよね――――――――や虚無的な性向(http://blogs.yahoo.co.jp/ffggd456/51935287.html)と相俟って「日本のモンゴル化」というような言葉でも括れる指向性を持っていたと思います。
8月23日の日テレのニュースではたまたままた野村修也氏のコーナーを見かけましたけど、教科書にも載っているメディアの癒着を指摘して改善を促さずにこういうところでのうのうとコーナーをもって、汚染水で大変な時に悠長に経済特区について語っている姿をみると、怒りを禁じえません。
結局これだけの事故でしたのに、最低限のまともさを持った事故調は一つもありませんでした。
テレビも原発報道を振り返る特集などは組みませんが、間違い無かったとはさすがに思っていないと思いたいところ。
そういう事実がありながら、無視する態度は人でなしとしか言いようがありません。
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