サントリー美術館 「もののあはれ」と日本の美 第八展示期間 その14

#その他芸術、アート

「神様のベレー帽 ~手塚治虫のブラック・ジャック創作秘話~」は視聴完了。

大島さんは全般的に手持ち無沙汰なシーンが特にかわいかったと思います!手塚さんを待ってくねくねしているところとか、直後のいきなり立ち上がるシーンとか、上手かったと思います。

観ていて気持ちよくなるような空気感があって、良いドラマだったと思います。そこに大島さんのかわいらしさはとても貢献していたと思います!

壁に穴をあけたシーンもとても大島さんらしかったと思います!当時の荒くれ者揃いの社員をしーんとさせられるシーンを作れるのは、大島さんの個性ならではだと思います。

ソファーでごろごろしているのもかわいかったですし、手塚さんが入ってきて、はっと立ち上がるシーンもうまかったと思います!そういうシーンは全部かわいらしかった印象。

撮影の順番はわかりませんが、後半のほうが演技が良かったと思います。
予定上どうしても単発ドラマが多くなる傾向があって、入っていくのが難しいと思うんですけど、上手く力を抜いて、役柄に早く馴染んじゃってくださいね。

本番前に肩を思いっきり上げて、落としてみるとか、手首を振ってみてくださいね。

しかし熱気がほとんど感じられない手塚治虫で、それを編集者の大島さんが補っている、という珍しいドラマだっと思います。手塚治虫は風景的に描かれていましたね。

娘さんの発言がわずかに波紋を呼んでいるようですけど、そういう構成に違和感を覚えたのかもしれませんね。ドラマとしては悪くなかったと思うんですど。

お話的には才能論を手塚治虫を題材に引き出していて、努力が大切なんだというおしまい。でも最初の大島さんが言っていたように、才能は絶対に必要です。

エジソンの有名な「天才とは1%のひらめきと99%の努力」もガンバリズム的にとらえられることが多いですが、実はひらめきがないと何をやってもダメだ、ということを強調しているそうです。

私は将棋界をよく知っていますが、才能のない人間はいくら努力しても、才能のある人間には勝てない。棋士は力関係が最初から決まっていて、それが生涯続きます。逆転するということはほとんどありません。

アイドルは、ひいきであるとか、もっと違う要因に左右されることも圧倒的に多いでしょうけど、似たようこともあると思います。

では、才能のない人間が何をしても無駄か、というと、そうではないと思います。才能そのものを伸ばす努力が必要なのです。

江戸期までの武士で必修だった、禅であるとか、武術であるとかは、典型的に才能を伸ばすための努力だったと思います。最近はそういうのをしないんですよね。

司馬遼太郎さんはせいぜい死ぬ準備をしているくらいにしか禅を思っておらず、現代にはそういう人が多いですが、そういうものではないのです。むしろ生きるための禅である、というところが重要です。

アニメ・漫画関係だったら、感性を伸ばすような経験を積むこともできるでしょう。

だから上位棋士に勝てない棋士は、もっとこういうことをやってあがくべきだと思います。羽生さんは最近武術に注目しているそうですけど、それはそういう意味があると思います。

原子力ムラの中には才能がない人ががむしゃらにがんばって、利益を確保している人が結構いると思います。だからどうしてもしがみつきたくなる、ということがあるんだと思うんです。
才能のある人の中にもそういう人はいますけど、才能がないと政治力を使って優位を保つような工夫を覚えたり、はっきり言って邪魔になることも多いんですよね。

がむしゃらな努力か、才能かという二分法になることが多いんですけど、これがおかしいと思います。才能を伸ばす努力というものが存在するのです。そのことに気がついて、取り組んでいくことが日本全体としてもとても大切なことだと思います。

私もそういう中で精進していきたいと思っています。

しかし編集長は佐藤浩市さんなんですね。ずっと、なんとなく吉川晃司さんだと思って観ていました(^_^:)

しかし、これだと秋田書店が素晴らしい会社のように描けてしまっているので、実態を示すスキャンダルがあって、ちょうどバランスが取れましたね。当時の漫画の編集者の現場は、そのように綺麗なものではなかったみたいですし。

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