3月10日の報ステの特集は現場作業員の声。
多重下請けはいまだに続いており、再稼働や除染の仕事をした方がお金が入るとのこと。
これは継続的に報道しないメディアが悪いですし、改善をしない政府に支持率があることが堕落しています。絆の欠片も感じません。
もう一つは終息宣言のせいで、緊急作業ではなくなり、さまざまな手当てやバックアップが無くなったことが大きいとのこと。
終息宣言は手続きを踏むように淡々と発表されて終わりましたが、このことの罪深さが改めて浮き彫りになっています。
最後の恵村コメンテーターの目立った提言もなければ情熱の欠片も感じられない語り口も、どうしようもないなとしか言えません。
モーニングバードでは防潮堤の着工率の話を。地元では防潮堤の前に避難道を確保してほしい、という声が上がっていますが、聞き入れられる様子はありません。防潮堤の建設と違って、避難道の拡張はお金が流れないのだと思います。大手メディアはお金の流れを具体的に追わないという特性がありますので、私の推測ですが。
まったく麗しい絆です。(皮肉)
萩谷順さんが、それでは防潮堤を低くしろといった人は想定以上の津波が来た時に責任を負うのか、ということを決めなくてはいけない、といっていましたが、東日本大震災クラスより上の津波を想定するのは合理的とは言えないでしょう。研究によって更なる津波の可能性が指摘されれば別ですが。
スタッフはこういう発言を聞くと、欣喜するのでしょう。
このようなことを言うのなら、堤防を作って景観を台無しにし、観光客も呼べなくなった場合の責任をだれが負うのか、着工以前に宣言しておくのが当たり前と言えます。権力の監視をするメディアは本来このような視点で語るのが当たり前ではないのか。
「サンデー毎日」の「普代村「15・5メートル堤防」神話の“ウラとオモテ”」では普代村はそもそも海抜が高く、堤防の手前の理髪店も一階しか浸水していなかったとのこと。沿岸から幾重にも置かれた消波ブロックが波を弱めた、というのも大きいのだそうです。
減災の方法は多様です。政府の都合で一つに定めて周囲の意見を無視するのは許されないことです。
「<原発>再稼働、信頼遠く…電気料金上げ、消費者に転嫁」(http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140311-00000006-mai-bus_all)は思わせぶりな題名を始め、いかに原子力ムラに利益を与えようかという、まさにクズ記事です。「目先の経済性を優先した原発再稼働」などというものは、安全投資を省かない限りありえません。それですらすぐに事故が起こったり起こされたりすれば目先のものすらないのです。毎日の体質そのものですね。
「J浦和、差別的横断幕の波紋 スタジアム内に「JAPANESE ONLY」」(http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140311-00000004-asahik-spo)はネットの世界のノリが現実世界でも通用すると勘違いしてうっかり出てきてしまったものである、というのが一つの原因として考えられるでしょう。
また、最近も週刊誌がどこもネット右翼化しているので呆れたのですが、これとも関係があることで、社会は政治のトップの思想に染まりやすいということがあるでしょう。
宗教改革期には領主がカトリックだったらカトリック、領主がプロテスタントだったらプロテスタントになったそうですが(「宗教改革の真実」((講談社現代新書)永田 諒一 (著)132ページ)、そのような強制力がない今でも、(もしかしたら表立たないからこその)大きな影響があります。
真の反骨精神を持った人は、世の中稀です。何も考えないで流されることに対する罪の自覚が必要です。
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