サントリー美術館 のぞいてびっくり江戸絵画-科学の眼、視覚のふしぎ- 後期

#その他芸術、アート

行って参りました。作品はほぼ総入れ替えです。

後期の目玉は恐らく「犬のいる風景図 司馬江漢 絹本油彩 / 一面 寛政年間(1789 ~ 1801) 千葉市美術館」。空気遠近法が使われています。

「スサキヘンテン(洲崎弁天) 亜欧堂田善 銅版筆彩 / 一枚 文化年間(1804 ~ 18)頃 個人蔵」はすこし「東都三つ股の図」であるとか、国芳の作品に似ている雰囲気。元ネタが似たような感じなのでしょう。江漢~亜欧堂田善~国芳といった流れがあるのかもしれませんね。

ただ、こういった銅版画の手法では江戸時代の日本人の闊達さや柔らかさがなかなか出てこない印象。バカボンドの筆者はペンを自然に筆に持ち替えたそうですが、昔の日本人を描くのには筆の方があっているのかもしれませんね。

「両国橋夕涼見浮絵根元 奥村政信 大判紅絵 元文元~延享 5 年(1736 ~ 48) 東京藝術大学」は室内は透視図法なのに窓の外はなぜか俯瞰になっているという、謎の構図。なんでもつめこんじゃえ、という感じは感じられます。道具を自分の目的のために使いこなしているといえるでしょう。

「忠臣蔵十一段目夜討之浮絵 北尾政美 間倍判錦絵 寛政 3 ~ 6 年(1791 ~ 94)頃 個人蔵」の浪士討入りのシーンは透視図法が有効だと思われていた感じですね。

「朝鮮通信使図 羽川藤永 紙本著色 / 一幅 18 世紀 個人蔵」は某歴史書で詳しく分析されていた絵で、実物が出てきてややびっくり。

「飛鳥山花見図 蹄斎北馬 絹本著色 / 一幅 19 世紀 個人蔵」は英派風の軽味のある作品。

「虫合戦図 春木南溟 絹本著色 / 一幅 19 世紀 個人蔵」は熊田千佳慕さん調の絵。

「三圍之景 司馬江漢 大判銅版筆彩 天明 7 年(1787) 和泉市久保惣記念美術館」も「大日本」の絵であると書いてあるところに、西洋画から得た知識だけで描いた江漢の誇りが滲んでいるとのこと。

「名所江戸百景 水道橋駿河台 歌川広重 大判錦絵 安政 4 年(1857) 個人蔵」には、庶民の象徴であるこいのぼりをでかでかと描いて下に武家屋敷を描くのは諷刺であるとの解説。広重の絵は諷刺で解釈できるものがとても多いみたいですね。
振り返って現代の美術・小説の諷刺の無さにはあきれます。

「反射望遠鏡 国友一貫斎 金属製 / 一基 天保 7 年(1836)頃 彦根城博物館」は独自にさびが発生しにくい反射鏡を使っているらしく、オランダ製よりももやつきが少ないのだそう。

「天球全図 *第3章 94-3(後期)94-4(後期)94-5(後期) 司馬江漢 銅版筆彩 / 十二点 寛政 8 年(1796)頃 神戸市立博物館」の後期は月。前期の太陽と同じく、自分で確かめたら本の通りだった、とのコメントが入っているそうですけど、太陽なら難しくとも月ならできるのかなと思います。

「新訂万国全図 高橋景保 作 / 亜欧堂田善 画 銅版筆彩 / 一幅 文化 7 年(1810) 個人蔵」は幕府が頭脳を結集して2年かけて作ったものらしく、かなり正確で驚くほどです。これは科学展示の中でもかなりインパクトがあります。これだけ正確な世界地図が幕府は頭に入っていたんですね。

前期のだにに続いて後期に拡大して描かれたのは蚊

「七ついろは東都富士尽 に 盗賊児雷也 大橋之不二  歌川国芳 大判錦絵 嘉永 5 年(1852) 仙台市博物館」は服に顕微鏡で見た蚊があしらわれているということで展示。奇抜な心意気が伝わってきます。

「四季草花虫図 市川其融 絹本著色 / 一幅 19 世紀 個人蔵」は鈴木其一の弟子の江戸詰の白川藩士が描いたらしく、確かにかなり画風が似ています。

「銀世界 喜多川歌麿 木版彩色摺 / 大本一帖 寛政 4 年(1792) 平木浮世絵財団」は光源が二つある場面だということで影がぼんやりと二重に。光学的な正確性が個性・味になっています。

「みかけハこハゐがとんだいゝ人だ 歌川国芳 大判錦絵 弘化 4 年(1847)頃 町田市立博物館」はホームページでも特筆されている超有名作ですが、団子になっている人たちは曲亭馬琴の読み本の登場上人物だという解説が付いています。国芳はそういう作品が多いですよね。ラノベの挿絵画家、の元祖といえます。

「富嶽図 小田野直武 絹本著色 / 一幅 安永 6 年(1777)頃 秋田県立近代美術館」は水面に揺れる橋の表現が卓抜な直武の風景画代表作であるとのこと。実に見事な力作です。

後期も同じテーマのまたちょっと違う面が観られて、とても面白かったです。ありがとうございました。

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