「踊れ!あすへのステップ」は大正の社交ダンス文化を特集。
周囲との軋轢があり、親が西洋文化を警戒していて習うのに反対しているという会員の話しも。
ペリーが来た時にみんな近づいて行った話など有名ですが、幕末の時点では、庶民の西洋文化に対する好奇心や摂取の貪欲さにはものすごいものがあったんですよね。
資料に基づいて描かれているなら、何がどういう契機でそこら辺が転換したのかと思います。
社交ダンスは破廉恥か否か、というのが当時一大論争を呼んでいたそうなんですが、裸を描くために神話を題材に取る西洋画に準ずると思うんですよね。ダンスという文化だといって接触をするという。
極まった競技とかになりますと、技術の要素が比重のかなりを占めるのでしょうけど、楽しみとしての社交ダンスは客観的に観て結構過激な競技だな、という感想を持っています。
こういうブームは鹿鳴館文化の民衆的な流れを追ったものとも解釈できます。
最近では幕末の幕府の外交は日本外交の手腕のピークと讃えられています。むしろ長州の勝手な暴発で不平等条約になってしまった、という結論になっていますが、そういう側面から考えると、不平等条約とセットで語られきた鹿鳴館文化の位置づけも変わってきますよね。
国を守るには西洋化するしかない、西洋化しない人間は悪だ、という風に言われていわれていたらしく(「文明開化 失われた風俗」 (歴史文化ライブラリー) 百瀬 響 (著) )、これも危機の度合いから言えば極めて怪しい。
明治新政府はとにかくどんな理由を付けてでも西洋化できればよいと思っていた節があります。その中心にいたのはたぶん伊藤博文でしょう。
関東大震災後にみんな一気に洋装になっているのも面白いですよね。江戸文化は関東大震災で終わった、という言われ方をすることもありますから、そういうものの一端が表現されたということでしょう。
後半の大阪編では、大正天皇が崩御した瞬間に大阪府警がダンスホールの一斉取り締まりをしたということですけど、大正天皇がいる間はやりがたいような雰囲気があったんですかね。
ここのダンスシーンの映像ですとかは、かなりきれいにできていましたよね。
同系統の企画では、今度は浅草オペラを取り上げてほしいですね。
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