行って参りました。
すみだトリフォニーの客席は舞台に対してわずかに斜めに沈んでいて、ちょっとした遊園地のよう。
客席はすべて埋まっているといって良い状態です。
さっと二人が出てきましたが、アリスさんの衣装はフェイスブックにも上がっているようなかなり大胆なもの。
当日配られたショパンコンクール覇者のアウデーエワさんのチラシによると、聴衆が演奏に集中できるようにドレスを避けてスーツを着ているとのこと。
そこまで気配りをしているとは!
アリスさんの場合は特に今回はスキャンダルがテーマですからこれくらいなものでしょう。
トリスターノとのデュオですが、二人はやたらくっついていて、庄司さんとカシオーリのような音楽だけの付き合い(たぶん)というのとは違って、プライベートでも親しい模様。ほとんど結婚披露演奏旅行なんじゃないかと思わせますが、「スキャンダル」というCDの題名に見合ったものといえるでしょう。国民性の違いなんですかね?
最初の「ラヴェル / トリスターノ編:ボレロ」は欧州で有名なトリスターノの得意曲とのこと。
原曲は水戸黄門のテーマ曲の元ネタであり、繰り返しが伊福部昭さんのオスティナートにも影響を与えている、音楽史上画期的な曲。
大河の上流から水が流れ出すようなおなじみの始まりから、だんだん時間がたつと独自性が出てきます。
ピッツィカートはピアノの弦を弾いて再現。たまに坂本龍一がやっているのを見たりしますけど、ピアノはピッツィカート奏法が可能なんですね。
トリスターノがおしゃれで現代的な感じで主に低音部分を支え、アリスさんが熱っぽく積極的に高音部分を弾いていく担当が基調。
音符は結構多く、所々不協和音が挟まったり、今風です。
だんだん熱を帯びていき、パンチの応酬のような雰囲気に。
こういうのを聴いていると、確かに4手でないと表現できない世界があるなぁ、と感じます。
気迫に溢れた反復はまさにオスティナートであって、伊福部音楽と比較させます。エネルギー自体は伊福部音楽の方が上ですし、原曲の方が上品ですが、編曲版はウィットを感じさせ対話があります。
最後はトリスターノが肘まで使って渾身の演奏を達成。
現代的な面白さがあって、今の聴衆に聴かせる音楽になっています。
原曲の初演の時は、単調さに席をはずした作曲家がいたそうですが、このヴァージョンであればそのような反応は起きないでしょう。
一方で原曲の、えっ、これだけなの、と言いたくなるようなシニカルな諧謔味は失せた印象。
そもそもが踊りのためのものですから、純音楽にする時は少しいじるのが当然なのかもしれません。「ボレロ」が「ボレロ!」になった感じ。
幕間には「ボレロおもしろかったね」「格闘技みたい」との感想がちらほら。
「ドビュッシー / ラベル編:3つのノクターンより 第1曲「雲」、第2曲「祭り」」は第3曲を割愛とのこと。
「第1曲「雲」」は東洋的で抒情的。雨に鈴蘭が濡れるような味わいがあります。
「第2曲「祭り」」はそれを少し激しくした感じ。
ゴージャスな合わせが楽しいですけど、名手二人が揃うと、自然に音数も多くなり、曲本来の個性から言うと、静かな部分が足りないかな、という感じ。
丁々発止で表現が豊かな分、やや雑然としているところもあります。ファジル・サイの演奏を聴いているみたいだな、と思ったのですけど、サイは4手が得意ですからね。そもそもが4手的なプレイヤーなのかもしれません。
「ラヴェル:ラ・ヴァルス」もラヴェルらしい音色の輝かしさがありますが、緩急が付かない感じ。4手の場合は意識的にこの部分を克服する工夫が必要なのかもしれません。
一人の時と比べると、結晶性と緊張感も及ばない感じ。
音色も同色なので、そういった面の単調さは免れ得ず、過去の有名作曲家が4手のためにそれほど作品を書いていない理由が分かった気がしました。
ただ演奏は迫力抜群で、呼吸はばっちりで完璧でした。
今回は2週間前の時にはみかけなかったオペラグラスで舞台を覗いている人がいたのですが、よく見ると双眼鏡の延長線上にはトリスターノがいて、女性です。トリスターノはイケメン枠の人なのだなと気が付いたのですが、そういうお客は結構いた感じ。
それとも手元を見て勉強していたんですかね?トリスターノは手首のあたりが黒かったので、まさかジーンズに加えて腕時計をするほどラフなのか!?と思ったのですが何か謎のリストバンドをしていた模様。テーピングの一種なんですかね。
終演後にツイッターでトリスターノが変顔を投稿していますが、この前のフランシス・ベーコン展のチラシがこんな顔だったような。
休憩を挟んで「トリスターノ:「ア・ソフト・シェル・グルーヴ」組曲 [日本初演]」は自作自演の現代曲。
なんか晦渋な現代曲だったりするのかな、と思ったのですが、そんなことをして会場を白けさせる訳がありません。ドビュッシーを現代的にした感じで、素直にメロディが流れるタイプではありませんが、聴いていて面白い曲。
バレエのコンテンポラリー・ダンスの後ろで流れていそうな音楽。
そして途中からひたすら同じ音型を繰り返すいわゆる「ミニマル・ミュージック」です。
終演後には秋山仁さんみたいなファッションセンスをした作曲家らしい人がミニマル・ミュージックについて噂話をしていて、日本だけ世界の流れから取り残されている云々と。
日本人があまりミニマルを作らないということでしょうか。私は聴いたことが無いですし、日本音楽コンクールの作曲部門の放送とかを観ても、未だに無調の音楽に意味ありげな題名をつける80年来の雰囲気ですからね。
そう考えるとミニマル系の作曲家から尊敬を集める伊福部昭さんの音楽が重要になってくるでしょう。好んで振ってくれる感じの指揮者の人が増えてきたのも時代の流れがあるのかもしれませんね。
日本はもしかしたら遅れているのかもしれませんが、ただ追随して遅れを取り戻そうとするだけではついていくのがせいぜいでしょう。
先んじるには、やはりまずは自分たちの国の音楽を吸収することだと思います。幸い日本の民族音楽は異様に豊かでヴァリエーション豊富で、伊福部昭さんでもその一面を深く強固な根っことして持っている、と言えるくらいなのかもしれません。研究して現代に生かすべき音楽・精神は無尽蔵といえるほどにあるのです。
曲に戻ると、循環部分に入る前に、アリスさんは手拍子を要求。みんなで乗っていけるのもミニマルの強みですよね。客席の手拍子は曲調に合わせて適切に緩急がつけられていて、何か訓練でも受けたんじゃないかと思うくらいです。
終局が近くなるとトリスターノの他の曲でもみせる足の踏み鳴らしが強くなります。これも曲の一部なのでしょう。
そういった力動感と一体感の中で終曲。客席の反応も良かったです。
最後は「ストラヴィンスキー:バレエ音楽「春の祭典」」。
演奏は完璧で素晴らしいの一言。ただ、当時の音楽の中で革命的だったのはわかりますしエネルギーもすごいのですけど、どうもストラヴィンスキーにはあまりシンパシーがありませんね。
今回演奏が悪くないのにそこまで感動しなかったのでそう思ったのですが、やはりこれもそもそも踊りがあって完成形であるというのが大きいのかもしれません。
それとやっぱりストラヴィンスキーの肝の原色の色彩感において、4手はオケと比べて不利なのでしょうね。
これも伊福部昭さんがとても影響を受けたことで有名。今回は多いですね。ミニマルの周辺を嘗めていくと自然とそうなるということでしょうか。
岡本太郎の世界を音楽化するとこういう曲になるのではないかなどとも感じました。
アンコールは「モーツァルト/4手のためのピアノ・ソナタ 二長調 K.381より 第2楽章」。
一気にクールダウンして、これまた子守歌のように響きます。
先鋭的なプログラムの中でここだけが18世紀。短かったですが、随所の曲想に対して適切と思えるニュアンスが光ります。
アリスさんはピアノが低くなったといってトリスターノと同じピアノで弾いていましたけど、あれだけ必死に休憩時間に調律師の人が働いていたのに、またピッチが低くなってしまったということでしょうか。そういわれればそうでしたかね。
最後は大会場恒例のサイン会。ものすごく列が長いのも予見をして、貰いはしなったのですが、折角なので出てこられてサインをする様子までは確認。気さくな美しさに周囲の賞賛と溜息が絶えない終演後の会場でした。
意欲的で、まさにスキャンダルな感じが随所に出ていた演奏会でした。これからもぜひいろんな試みをみせてもらいたいです!
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