100分 de 名著 旧約聖書 第2回 人間は罪の状態にある

この回では、だんだん豊かになってくるにつれて信仰心が薄れた、といわれているのが面白いところ。西洋史で言う世俗化が起きているのでしょう。その理論の雛形が旧約聖書に見いだせるのでしょうね。

角逐激しい中東を生き抜くために、強烈なセム系一神教が誕生した感じなんでしょうね。その環境が無くなると逆に信仰心が薄れてしまうという。

ここら辺は、仏教では真逆なのが面白いところ。仏教の勃興は当時の商人階級の勃興と関係があり、その倫理的規範として要請されたものだといわれています。つまり仏教の方は豊かになってから、出てきた宗教なんですよね。

仏教はそれ以前のインドの宗教的伝統も受け継いでいますから、そういう意味では一筋縄ではいきませんが、とりあえずは真逆だといえる。

私は近代的な商業と仏教は非常に相性が良いと考えているんですけど、こういう成り立ちの違いも大きいといえます。

また、例えば守貞謾稿の冒頭などに書かれていますけど、日本では仏教などの宗教は存在しなかったのに、人々がだんだん堕落してきて放っておくと犯罪などを犯すようになったので、しかたが無く導入された、と思われていたんですよね。

これも西洋史の世俗化とはベクトルが逆なんですよね。日本では世俗化とバランスをとるように宗教の力が強くなってきたといわれています。だから私は西洋史の世俗化的な社会の進化の段階を日本に当てはめるのはおかしいと思っています。

ここら辺にも世俗的な現代と相性が良い仏教の特徴が表れています。

総括すると、一神教は宗教ありきで、仏教は社会ありきの宗教なんでしょうね。ざっくりいえば。

ソロモンが女性に惑わされて他の神を拝むようになってしまった、というのも、惑わすものとしての女性が神話の中にあるという社会的意味があるのでしょう。

ハリウッドの映画に惑わす女性が出てくるのが多いのもそういう歴史もあるのでしょうね。

最後はアッシリアに滅ぼされた北のイスラエル王国の話し。

滅ぼされたのだから神は信じられない、ということになりそうだが、そうではなく自分が悪いので神が助けてくれなかったという思考法を取るようになりここに罪の概念が生まれて本格的な一神教が誕生したとのこと。

神の方が悪いんだ、と信じられない人は聖書に登場しなくなった、とのこと。

だんだんある意味、堅門徒だけの信仰になっていくのがわかります。

逆に言うとそんなに強く信仰している人ばかりではなかったから、ソロモンとか惑わされたという話が出てくるのでしょうね。

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