<ノーベル賞>平和賞は17歳マララさんと印のカイラシュ氏

#その他文化活動

「<ノーベル賞>平和賞は17歳マララさんと印のカイラシュ氏」(http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20141010-00000063-mai-soci)とのことですけど、これは本来大人がやるべきことで、子供が矢面に立っていること自体に違和感を感じます。

しかもどこもタリバンを「イスラム」とためらいもなく報じますけど、キリスト教の団体がものや時代によってピンキリなのと同じであるという認識が無ければなりません。

サンデーモーニングでは岸井氏が集団的自衛権について、政府は「国民に諮る努力」が足りないと指摘。こういうのは努力ではなく諮るか諮らないかの考え方の問題ですが、努力ということにしてワンクッションおいてしまうんですよね。
こういう歪みと意見の無さでどうしようもなくなっています。

「いま、さらけ出す戦争 69回目、終戦の日」(http://www.asahi.com/articles/DA3S11301886.html)といった戦争特集は今だから言うという人が多くなると予想されますので、ある意味タイムリーであるといえるでしょう。

「若者目立つ靖国神社 「戦った人に感謝」/「徴兵で子をとられたら泣く」 終戦の日」(http://digital.asahi.com/articles/DA3S11301889.html?iref=comkiji_txt_end_s_kjid_DA3S11301889)では「20歳を過ぎた頃、映画「硫黄島からの手紙」に興奮した。「国のために散っていく兵士がかっこよかった」。」という若者の参拝客のコメントが載っていますが、上の記事にあるように「実際の戦争には、黒い部分がたくさんあるのです」。

この映画は観ていませんが、雰囲気的に観る気になりません。

どちらが勝とうが負けようが戦いをクローズアップして、戦争の黒い部分を描いていない作品はそれだけで失格といえます。

「(戦後70年へ プロローグ:4)「戦争責任」自ら見つめる」(http://digital.asahi.com/articles/DA3S11300284.html?iref=comkiji_txt_end_s_kjid_DA3S11300284)は

「巣鴨プリズンで東郷茂徳が詠んだ歌の一つだ。子どもたちに「戦争をしてはいけない」「戦争するなら勝つ戦争でなければならない」と説き、この二つを決して忘れるな、とする。」

とありますが、勝つ勝たないは別として、たとえばミッドウェーで負けた瞬間に講和していれば、本人たちも国民もこのような惨禍は蒙りませんでした。

無責任の怠慢を棚に上げて、勝つ勝たないに話をすり替えているのではないか。

また当時の日本は品格ゼロどころが、マイナスの国際社会の問題児であって、勝つ勝たないとかそれ以前の問題なのです。

自国の質を棚に上げて、勝つ勝たないだけで論じるのは、自らや政府の責任を直視していないのではないか。

戦後の無責任社会が戦前の地続きであることがわかります。

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