「(論壇時評)市場原理の浸透 ブラック化する、この国 作家・高橋源一郎」(http://www.asahi.com/articles/DA3S11100991.html)
と「(あすを探る メディア)政治家の妄言と「世界」喪失 濱野智史」(http://www.asahi.com/articles/DA3S11100994.html)
はちょうど並んで一つの面を構成していますが、共に西洋哲学を使った記述が。前者はフーコーを引いた文章を引用して、わたしたちは経済合理性の駒になろうとしている、と結論するもので、後者はアーレントを引いて、つながりや後世を意識しないから政治家が妄言を繰り返すといったことを。
わざわざ論理を引っ張ってきた割には結論が平凡ですが、そういう文章はこれら以外にもよくみかけます。
そういった思想を武器として創造的な議論を展開するのならわかるのですが、引用して、なんとなく文章に組み込んだり、物事を平凡に解釈するだけで、満足してしまっている人が多すぎるのではないでしょうか。そしてそれで良しとしてしまう読者がいる。
こういったことに日本の輸入学問的な現状、西洋依存主義的な考える力の無さが表れていると思うのです。
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