では「ワンフレーズポリティックス」がどんどん強まってきていると指摘。
テレビや新聞を作ってる本人が頭が悪くなってて、視聴者がわかりやすくわかりやすくやってる、実はそれは罠にはまっている。とのことですけど、頭が悪い以上に明確な癒着であって、この部分の腐敗を制度の問題であると捉えられてこなかったことが、この問題がいつまでたっても改善しない原因であると考えています。
視聴者に合わせている説は、制度の変更を迫らない点で、テレビなどで活躍している人たちにとって言いやすい、都合のよい言説なんですよね。
ここが変わらなければならない、重要な一点であると考えています。
関連して「観客民主主義」ということで、これで郵政民営化と脱原発の二つの小泉選挙の違いを説明されていますけど、アベノミクスは自分たちにてきめんにはね帰ってきますよね。
そういう要素より、政府と癒着したメディアの報道の方向付けの方がすっと大きいと考えています。
ワンフレーズポリティックスを展開しているはどこまでもメディアであって、その根っこにあるのは記者クラブ制度をはじめとしたメディアの仕組みです。
電通を通じた癒着・クロスオーナーシップの禁止を含めた多様性の確保・電波の交付方法・CMを流す方式などなど、改善点はたくさんあります。
今回は出てきませんでしたけど、「衆院選:自民 テレビ局の選挙報道で細かく公平性要請」(http://mainichi.jp/select/news/20141128k0000m040069000c.html)は効いているでしょう。その裏では電波の交付の停止をちらつかせているといわれます。
このようなことができるのは、電波の交付が極めて廉価で利権的になっていることが、一つの原因です。
「レヴェルを下げないと(視聴者に)伝わらないと思い込んでいる」とのことですけど、これは真っ赤な嘘だと考えています。わかりやすくするにしても質を保ってわかりやすくすることもできる。結論だけ言うにしても回答が洗練されていればよいのですからね。
室井さんは、党首討論を面白く見せる工夫が足りない、主張を言わせるより、討論させた方が面白い、と指摘。
これもメディアのことなかれ主義から来ているものです。金子さんがいつも主張するような視聴率第一主義からの歪み、からここも逸脱しています。視聴率はむしろ犠牲になっている、というのが私の考えであって実感です。
そうは仰りませんでしたけど、室井さんも同じような疑問を感じているように聴いていて感じました。
「みんな選挙に行こうっていうのは嘘なんだよ」と室井さん。その通りです。
金子さんはこういった所は前からずっと変わらないみたいですけど、メディアの仕組みが今のままでいいと思うならいいと言えば良いと思うし、大したことじゃないと思うなら大したことじゃないといえば良いと思う。要素として徹頭徹尾触れないのが特徴ですよね。
こういったことを言わないで「衆愚主義」に結論を帰結させようとする、質の悪い言論がこの「観客民主主義」という言葉の使われ方の現状です。
「特定秘密保護法って、実行された時はもうファッショだよ」「自主規制されていくってことが本当の効果なんだよ」「メディアが5年懲役覚悟でやりますか、10年懲役覚悟でやりますか、やらないでしょ」とのこと。
国民を選挙に参加させないような仕組みがあって、それでお任せ民主主義になって「議会制民主主義をどんどん麻痺させていく」とのこと。
イギリスで政治が日常なのに対して、日本では政治を特別なものにしている、とのこと。政治と宗教の話はしてはいけない、ということで、室井さんがなんで日本はそうなったのか、と聞くと「俺に聞いたってわかるか」との答え。
これは国民性や民主主義的な未成熟と繋げられることがありますけど、話し辛くなったのはそんなに昔のことではないと思う。戦後にどんどん政治の話をしては言けないような環境を築いてきたのだといえます。それがお任せ民主主義の正体でもあると考えます。
日本のマスコミは昭和天皇の崩御からおかしくなったのではないかという山田五郎説を大竹さんが持ってこようとしたところで終了。そういったことの積み重ねというはありますよね。
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