「福島第1原発の「今」 廃炉カギ握る溶けた燃料調査、期待される早期の形状把握」(http://www.sankei.com/affairs/news/150311/afr1503110010-n1.html)は「最長40年とされる廃炉」が根拠が不明。
ロボットの開発もおぼつかない状況で、なぜ最長がわかるのか。かろうじて推測が許されて最短ではないだろうか。
11日の「スーパーニュース」はチェルノブイリの現状を取材。
内部被曝によって、2代目3代目に深刻な障害が出ています。国に認定されているということが救いと言えば救いなのでしょうか。
被曝の次代への影響はいろいろ言われていて、どうなのかなと思っていたんですが、これを見る限りその影響は深刻です。
わからないことはわからないというべき。選択肢があるべきだ、というのはその通りです。
11日の大竹まことさんのラジオは東京新聞の記事から。頑張ろう神戸、の頑張ろうの向かうベクトルに違和感があったということ。「精一杯頑張ろうとしている人に頑張ろうとは言えない」とのこと。
箱もの優先で商店街が壊滅したことなどからいっても、違和感を感じるのが当然だったといえるでしょう。
更に東日本ではそれの比ではない、復興の美名のもとに火事場泥棒のような災害への便乗が行われています。
「多摩川中1殺害、「LINE」で呼び出される?」(http://www.tv-asahi.co.jp/dap/bangumi/hst/news/detail.php?news_id=41364)
はisil模倣説も出ていますが、そうであればテレビがisilの「広報」ばかりしていたことによって引き金が引かれた殺人ともいえるでしょう。
テレビは政府とその取り巻きが報道して欲しくないことはしないので、結局は政府とそれと癒着しているメディアの関係性の中で起きた事件だというのは一つの本質だと思います。
犯人やその周辺の人たちもしらっと嘘をついていて、ひどいという以上に酷いです。東電や経産省に比べられるくらいひどいです。
大人の間違えは数限りなくありますが、鳩を撃っていたという時点で治療をはじめなかった行政の失敗です。
しかし、こういう人たちはどの町にもものすごく多いんですよね。見渡せばこういう人、といった感じ。
この事件で献金問題をやらないという話もありますが、この事件が無いならないで動物映像とかを流すのでしょうから、特に意味はないと思います。
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