(国家と歴史:下)米国へ、憧れと反発 戦後70年・第3部

#その他文化活動

4月17日の大竹まことさんのラジオは村上春樹さんの原発再稼働の動きを批判する文章。

土地も含めてその人であって、土地をその人から引き離すのは魂を引き離すことだと批判。

人が人間関係を含めてその人であるようにもちろん土地も含んでいるわけですよね。

こういう言葉が政府に響いて行っていない状況があります。仏教にはそのような考えが元からありますし、そういう考えを捨てた後のホリスティックな人間観・価値観を形成できない日本人の姿が反映されていると思います。

次はメディアと国の癒着についての記事で、大手メディアが政治家と飲食したりゴルフをするような関係は考えられない、との海外メディアの声。

そこに書かれている、結局はそのことで損するのは国民であるという話をスタジオで広げていました。

それにしてもネット右翼の意見をいろいろ拾ってみると、みんな一緒で異論のない方が国全体として強いに決まっている、という考えがうっすらあるように感じるんですよね。

戦時中の経験を出すまでもなく実に愚かな考えですが、現代社会に響かせるにはそこから問い直していかないと効果的ではないということがあるのだと思います。メディアが権力を監視する役割を持っていることは近代国家の基本であって自明なわけですが、自明というだけでは、わからない人たちがいるんですね。

そしてこういう傾向はネット右翼だけではなく、うっすらと日本全体を実は覆っている。そういう空気の中に、こういう政府と癒着するメディア、とそれを強く咎めない国民という構図があるのだと観察できます。

それを直すのはやっぱりとりもなおさず「哲学」の役割なんでしょうね。当たり前のことなのですが・・・・。心身が衰えている人が多いので、思考が硬直して短絡的になる、多様で複雑な社会の強さを理解できなくなる、という部分は原因として当然さらに見逃せないところ。

以下は月曜日に小林よしのりを招くということでその話題に終始していましたが、こういう人間を招くことは強く批判したいと思います。

宮台真司さんも盛んに仲良くしているようですけど、こちらは類友としか言えませんね。

「(国家と歴史:下)米国へ、憧れと反発 戦後70年・第3部」(http://www.asahi.com/articles/DA3S11714048.html)では「保守」と表現しましたが、朝日新聞の保守の定義は歴史修正主義なのか?

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