行って参りました。
庄司さんの衣装は背中がぱっくりと開いていてびっくり。後ろから見ると上半身は何も着ていないようです。その真後ろの席を確保していた自分のすごさに感嘆せざるを得ませんでした。
その均整のとれた身体は寒稽古に臨む空手家さながら。あまりに大胆で釘付けになり、演奏に集中できなかったことをここで告白せねばなりません。(冗談)
色もとてもカラフルに塗り分けられたドレスで、これも今までにないファッション。最近「アマゾン展」を観てきたのもあって、カナリアのようだなと思いました。その野性味あふれる演奏とあいまって「アマゾンの女王」といえるでしょう!
モーツァルト:ヴァイオリン・ソナタ 第35番 ト長調 K.379
はカシオーリの冒頭の分散和音からしておしゃれ。イタリア人ですけど、エスプリを感じさせます。
youtubeで最近カシオーリのモーツァルトを聴きましたけど、その時も、これだけおしゃれにやるんだ、と驚きました。
しかし、あまり突っ込んだ渾身の表現をするタイプではなく、ピアニッシモは浅い感じ。
曲想の変化、フレーズ毎の短い変化、一音一音の変化、の描き分けもあまりなされていなかった、と思います。
激しい部分の熱量も、足りない感じ。リズムもモーツァルトからしたら不自然だと思います。
カシオーリのモーツァルトなわけですけど、個性が曲の良さを超えて輝いているとはいいがたい感じで、風味を損なっています。
ここら辺はどのようにやってももしかしたら原曲以上なのでは?と思わせるバッハと違うモーツァルトの難しさです。
ピアノがメインの曲ですが、それでも音数が少ない感じで、カシオーリにはやや暇そうな雰囲気すらも。余裕綽々で芳醇に弾く個性があだになった感じ。
一方で庄司さんは突き詰まった表現。
弱音のニュアンスも表情の変化も素晴らしいですが、いかんせん堪能するにはやや音数が少ないですね。
ピアノの背景でぽつぽつピッツィカートをしている姿が印象的。
とはいえモーツァルトの楽しさの片鱗は味わえる演奏でした。
カシオーリの豊かな表現を根っこに庄司さんが攻めぬいた表現をする良いコンビなのですが、ここでは足並みがそろわない印象が強かったです。モーツァルトを録音することがあれば、パートナーを変更することをお勧めします。アリスさんは推薦できますよ!
一方で次の
ベートーヴェン:ヴァイオリン・ソナタ 第6番 イ長調 作品30-1
などベートーヴェンは、カシオーリの安定感に対して庄司さんが深い表現をし過ぎてしまうのが通例ですが、今回の庄司さんはとても力の抜けた感じ。
ツィクルスが完成した余裕なのか、ベートーヴェンを体得したのか、歌心に支えられた魂の演奏で、鋭利に突き詰まり過ぎない厚みのある音色が素晴らしかったです。
抜群の迫力で、獅子が狩りをするようであり、イタチのようにしなやか。
要所での爆発力は、凄まじいの一言です。
まさにこれこそベートーヴェンといった感じで、聴いていてとても熱くなります。
とても表情豊かで、私がこれまで生で聞いた庄司さんのベートーヴェンのソナタの中で一番良かったと思います。
一方でカシオーリは音がきれいすぎる感が。ベートーヴェンの中では温和な曲なのでそれもあるのかと思うのですが、攻め足りず、気迫不足を感じる場面が多かったです。
何か今回はカシオーリが気になることが多かったです。
曲の切れ間では二人は、舞台のそでで打ち合わせしているようで、なかなか出てこないことも多く、音楽的に噛み合わせに課題があったのかもしれませんね。
休憩を挟んで
ストラヴィンスキー:イタリア組曲
はこの前アンコールで「ペトルーシュカ」の名演を魅せた二人が本プログラムに組み込んできたストアヴィンスキーの曲。
「序奏」は朗らかなメロディが印象的。メンデルスゾーンの「イタリア」的な明るさで、やっぱりそういうイメージなのでしょうか。
演奏もとても楽しい感じです。
「セレナータ」は歌うような旋律が印象的で、オペラのよう。さながら庄司さんの歌のリサイタルのようです。
「タランテラ」はこの前の「ペトルーシュカ」のような野性的な曲。庄司さんのアタックは素晴らしい力強さで、最高潮の中での突然の終止は劇的です。
「2つの変奏を持つガヴォッタ」は長音が朗々と奏される作品で、渡り鳥が飛んでいくような、さわやかで荒涼とした雰囲気。
「スケルツィーノ」はミニマル的。抽象的な音が強弱を形作っています。
「メヌエットとフィナーレ」は威風堂々、もしくはワーグナーの序曲的な豪華なフィナーレ。そこに抒情的な旋律も紛れ込みます。
スケールが大きくも感情豊かな表現です。
終わった後の拍手はすごく、今日一番だったでしょう。
私も聴いた記憶が無い曲でしたが、超名曲が突然出現したような感覚を持った人も多かったに違いありません。
常に大柄なふいごが火を噴いているような印象があるストラヴィンスキーですがこういうメロディアスな才能があるんだな、と発見させられました。
これだけ個性のはっきりした違う曲を作る才能。さらにはそれを立体的に表現しつくした演奏のすばらしさに感銘しました。
愉しくも深みのある作品。
ラヴェル:ヴァイオリン・ソナタ ト長調
の第一楽章はボレロっぽい導入。
弦がすすり泣くような曲で、クリオネがぷかぷか浮いているような透明な曲想から、蘇州夜曲のような纏綿としたすすり泣きが出てきたり、場所によってはブルックナーのようで、終曲あたりは土俗的な迫力があります。
第2楽章は抽象的な感じで、メロディアスにならない音列から、気合とニュアンスがひたすら放散されます。
第3楽章はミニマル的。ここでやっと腑に落ちる感じで、第2楽章もミニマル前夜的な曲想だったんだな、と理解。
ストラヴィンスキーもそうでしたけど、伊福部やグラスといった人たちが出てくるまでの前夜は結構長いんですね。
演奏の方は、庄司さんのオスティナートが強烈。
有機的な強弱が素晴らしく、大きく開いた背中で呼吸をしているようです。
ラヴェルの室内楽は晦渋な印象もあったんですが、それは奏者によるというのが確認できました。
アンコールの
シュニトケ:祝賀ロンド
は親しみやすい曲で、その一音一音の豊潤さは庄司さんならでは。
愉しく歌うようで、今回は全体的にも歌心を感じさせる演奏会だったと思います。
アンコール2曲目の
シルベストロフ:『ポスト・スクリプトゥム』から第2楽章
は静寂が支配する密やかな曲。抑制された表現に、満天の星空を感じさせるようです。
終了後は拍手もなかなか始まらず、余韻嫋々。
カーテンコールに応じて袖から出てくる姿も力動感があってとても格好良かったです!
いつもの飛び抜けた緊張感というよりは、豊かさと気迫の中に高貴な音楽性を感じさせる演奏会でした。
そしてそれを支えるのは、素晴らしい鍛錬です。ありがとうございました!
おやすみなさい。
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