東京国立博物館 平常展 特集陳列「猿」「日本の仮面 舞楽面と行道面」その2

#その他芸術、アート

7月1日のニュースではNスタなどで富士山の世界遺産登録の話をやっていて、ゴミ問題に触れていましたが、結構持ち帰っているもよう。流石にこれだけ広報をしていますし、それなりに結構持ち帰ると思うんですよね。

富士山のゴミのひどいのは産業廃棄物で、これは端的に、買値の中にリサイクル料金を入れるような制度設計をしなかった経済産業省のミスでしょう。テレビではその視点で報道されることは無く、一般客のゴミの問題と一緒くたにされています。

政府を監視したり家電量販店に異議を申し立てる気力が無く、摩擦を恐れて(というよりすでに一体化して)サボタージュをしているのではないでしょうか。そしてそれは放送法に違反しています。

またこの制度設計は強制的な地デジ化やエコポイントなどと同じで、一時良ければ良い。消費の先食いの発想で、そのツケを払わされているという面でも軌を一にしていることに留意して日本に横たわる病巣の核に注目せねばなりません。

経産省が経産省職員の利益を優先していて、ごみについては管轄が違うので知らないよ、という縦割りの弊害や天下り先などの業界団体との癒着も大きな原因としてあるのだろうと思います。

大竹まことさんのラジオの森永卓郎さんのサーベラスの問題を扱った話では、西武が株の名義を変えて持っていた問題で上場廃止になり資金の調達ができなくなってお金を借りたのがサーベラスだったというそもそもの解説。

その上場廃止が決まった時の竹中平蔵元金融担当大臣の時の元金融庁長官の五味廣文氏がサーベラス側が推薦する取締役候補の一人になっている、とのことですけど、ありていにいえば、国の中枢にいた人がハゲタカファンドの尻馬に乗って儲けようとしている、ということでしょう。

マッチポンプと森永さんは表現。

古舘さんがサーベラス側に日本人がいる、とぼかして伝えていましたけど、サーベラスのニュースをやってこのことに触れない報道は、歪んでいてマイナスの価値を持っていると思います。

たしか朝日新聞の連載で堤清二が提携先としてサーベラスは良かった、と言っていましたけど、本当なのかと思います。

この回は大竹まことさんも印象深かったようで、他の曜日でも、日本人なぜ領土問題のように経済の防衛で熱心でないのか、と繰り返していました。

森永さんは日本文化を理解した経営者で無ければいけないといって、阿川佐和子さんにそんな人いるのか、と突っ込まれていましたけど、日本文化というというか、日本で活躍する企業のトップが日本の事を考えないのでは、国民の生活はおぼつかないですよね。しっかりした日本人であれば、日本を根として企業を経営するだろうという期待を持てます。

続いて大竹まことさんのラジオでは山口一臣さんのコーナーが最終回でしたけど、どちらかといえば気を吐いているほうのジャーナリストの一人で、震災後の情報が錯綜し、隠蔽される中、計画停電のどさくさに左遷されて、騒然とする所では騒然としていたものです。

また社内でいじめられているのではないか、心配したものです。

最終回はものの見方について語っていて、週刊誌的な角度で見る事を心がけているとのこと。新聞についても、ネットではマスコミは真実に伝えていない、といわれているがこれは違って、様々な見方があるということだ、と言っていましたけど、不純な見地からの見方であってはどうしようもないでしょう。

お金の繋がりや省庁との繋がりとの逆の方向から書けば、「見地」といえるでしょうけど、それに沿ったものは最早「見地」と呼ぶに値しないのではないでしょうか。

また、明らかな嘘や、嘘といえないだけの、時に嘘より悪質な、伝えない自由を行使した情報の歪みなども、ひどいものがあります。

あくまで新聞社が母体の組織の中に所属している、というのは山口さんの限界の一つでもあったでしょう。

加えて、週刊誌自身が売れてなんぼであって、下世話だったり人の注目だけ集めるような浅い記事を、資本主義の論理で擁護することで載せて行く、という所があると思うんですよね。だから勢い考え方も市場原理主義的になって、新自由主義ぽい色彩が感じられるのが残念な所でもあります。

陸山会裁判では小沢一郎に落ち度がみつからなかったので、小沢擁護の記事を載せたということで、その判断はマスコミ中では目立って正しかったですけれども、これと小沢の政策的な能力の欠如を切り離せないで、政治家の能力としても推してしまっているように見える所が残念でもあります。

震災後の電力不足については、経産省などの情報を元に報道する大手メディアに対して、足りているのでは、という広瀬さんの説を取り上げて、結果的に当った、といっていました。

広瀬さんは確かに一民間ですけど、飯田哲也さんや玉川さんを始め他にも足りているといっている人はいたので、そこまで足元が不確かな説というわけでもなかった。大手メディアのソースや姿勢が歪んでいた、というだけの話ではなかったかと思います。

「角度」で何でも擁護してしまっては、意図的な歪みが通ってしまい、真っ当な姿勢を軸に報道を展開していくことはできません。
なにか前時代のポストモダン的な考え方が感じられるような気もします。

それらの要素が上杉隆さんなどと、うまが合ってしまうような素地にもなっていたと思うのです。

何か文句ばかりになってしまいましたけど、多くの情報源に比べると、圧倒的に信頼できるソースだったと思っています。他がひどすぎるという言い方もできますが。

7月1日の報ステはアベノミクスの特集をやっていて、地方や中小企業には円安のしわ寄せが来ているくらいでデフレが止っていないという報告。やはりバブル時代にそっくりですよね。

恵村コメンテーターは、国土強靭化をすすめる自民もくさすだけの野党も良くないということで、ばら色の未来を描く公約にはおさらばしたい、といっていましたけど、問題はばら色なのかそうではないのかではなく、発送電分離を筆頭としたするべき政策をするか否かです。そのうえで明るい未来がある、というのであれば、国民は信じて、メディアは後押しするべきです。希望を追い求めない国に未来が訪れる事はないだろうと思います。

スポーツでは安藤さんの衝撃の告白をずっとやっていましたけど、こういう時期に妊娠させてしまうパートナーというのはどうなのか、と思います。

安藤さんは才能は冠絶しているんですけど、不安定な人で、良いパートナーを見つけて安定して欲しいという気持ちはあるのですけど、どうなのだろう、と思います。

安藤さんはもっと自分を大切にした方が良いと思います。

日本ではアスリートが彼氏がいるとその間に練習しろとか色々言われる。といっていましたけど、それはないと思います。安藤さんの廻りはこう思っている、というのは妄想のことが多いと思います。そういう意味では自分と相撲をとってしまっているわけで、そういう所がもったいないなと思います。

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