13日のそもそも総研はむのたけじ氏に戦前・戦中の話を聞きに行った回。
戦争のための情報統制の手段として生まれた「記者クラブ」の性質を証言。
競争をさせないことによって抜けがけを防ぎ、国民に知らせたくない情報をすっぱ抜くことを防ぐための仕組みであるという話。
やっぱりあらゆる問題の根っこには「記者クラブ」があるといって良いと思う。電波利権や広告代理店にまつわる腐敗とか戦後出来たものも大きいですけど、ここが原点です。
12日にはフジテレビがむのたけじさんの特集をやっていて、ほとんど同じ作りですが、この記者クラブについての部分は無し。核心的な部分なのでここだけ語らなかったとは考えられず、フジは削って報道したのでしょう。お年寄りだから文句は言ってこないだろう、とたかをくくっているに違いありません。
新聞が嘘情報を流すことになったことについては、憲兵隊に脅されたとか、検閲が厳しかったわけではない。自主規制が始まった。とのことで、この部分は社会に標準的に流布している説を改めなければいけません。
戦争終結直後に、周囲の国に迷惑をかけた、謝らなくては、という声は誰も言わなかったので出てこなかったとのこと。
これは今の軍国主義化にとても大きく関係しています。もし仮に他国に迷惑をかけたことを無視するのであれば、軍部のやったことは大したことが無いということになり(国内だけでも甚大過ぎる被害ですが)、そこにたやすく回帰してしまうのです。
日本国民全体にも責任があるのではないかというナレーションと最後の玉川さんのまとめの問いかけでしたが、まず、軍部であるとか新聞社であるとか、権力や情報に近い人たちの責任が圧倒的に濃いというのは私が今まで行って来たとおりです。
メディアであれば記者クラブの解体・開放が最初になされるべきことです。
ただやはり、その責任を問うた後ということであれば、軍部の独裁を許した責任は日本人全体にあります。仕組みに対する責任です。
それは「『日本のいちばん長い日』半藤一利氏「無責任国家」日本論ず」(http://www.news-postseven.com/archives/20150810_341416.html)で触れられているように、エリート独裁を許してしまう心性です。そしてその基礎には福沢諭吉的な、西洋の学問を修めたものが優位であるという思考があると考えています。
それは現代の日本人が繰り返そうとしている過ちと同質のものなのです。
ナレーションに「知らしむべからざる情報」という表現があって、論語の文章と被せているのでしょうけど、意味が違うので誤解を防ぐためにどうにかできないものか。
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