パックンのオピニオンは「日本のちょっと色がついている無宗教感が大好きなんですけど」ということでお彼岸について。
日本の伝統的な宗教は、原理主義的にならないのが良いところです。江戸時代の濃さでならないのですから、現代でももっと濃くしても倫理面(や能力面)が向上するだけで、反動が極めて少ないので素晴らしいと私は思っているのですが。
パックン曰はく社会問題は宗教の理解なしには出来ない、とのこと。これは重要ですよね。
宗教的な言い回しが出てくるとそこで論理が止まってしまって理解できなくなる、とのこと。
そこは立ち入れないから仕方がない、と照美さん。でも、理解しないとなんで止まってしまうかもわからない、とパックン。
聖書の独特な言い回しは例え英語で行ったとしてもユニバーサルなものにあまりならないということをキリスト教文化圏の人もある程度分かって言葉を選ぶべきだと思うんですよね。
欧米では当然のこととして古典化されている表現なのでしょうけど、そういったものを理解するべきというパックンと、そもそも当然の表現として使うのはおかしいと考えている照美さんのぶつかり合いが少しあったような気がしないでもないやり取りでした。
パックンは比較宗教学をやっていたということですけど、もしかして欧米では宗教学は半ば修辞学なのかなぁ、と気づかされました。
そう考えるとパックンが日本語の独特の言い回しも良く使いこなすことに得心が行く感じもします。
比較宗教学者としては日本はかなり刺激的な地なのではないだろうかとも思いました。
宗教の壁は乗り越えられるはずだ、神の恩寵があれば、とパックンの〆。
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