「日刊ゲンダイ」吉田照美インタヴュー その1

#その他文化活動

吉田照美さんは「民」の字源から国民軽視の根を説明されていますけど、これは眼がみえないからこそ神と繋がっている、という崇敬の意味が入った字で、民を奴隷的にみていたという説は間違えです。

傍証としては「賢」の「臣」の部分が同じく目を潰された形です。神と繋がっているから賢いのだそう。つまり「大臣」は神と繋がった賢い人という意味になりますが、こちらはみる眼が無いという解釈でよいと思います。

「字訓」の「たみ」の項には

郭沫若はこれを証として古代奴隷制を論じたが、身体の機能に障害を与えることは奴隷としての労働力を弱めることであるから搾取者がそのようなことをするはずはない。

と通説に対する論理的な反論が。

昔からアジア人は民を虐げてきたから民なんだ、とアイデンティティ化するのは間違っていると考えます。

フーコーの狂気についての研究のように、昔の障碍を持った人に対する感覚は現代とは全く違っていました。(以上白川静説を参考にしました。)

それに仮に吉田さんの説を採ったとして、大臣の「臣」も目を潰された形だが、吉田さんが言う所の、目を潰された謙虚さが全く窺えないではないか。

字源説を理由に過去の東洋人(日本人)に罪を擦り付けるのは無意味であって現実にそぐわない逃避だと僕は考えます。
間違った低劣なアイデンティティを日本人一般に植え付けて、社会が低廻する原因になっていると私は考えています。
あくまで悪いのは現代の日本人なのです。

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