で明日は「名こそ惜しけれ」をやるそうですけど、平べったくいえば、禅(を中心とした仏教)を無視して武士を説明するためのワードです。
司馬遼太郎さんは誰が合理的な精神を持っていたかということとかは、史料を読んだり直感で結構わかるんですよ。
それでどうも武士はとても合理的な人たちだったらしい、ということがわかるんです。
なので武士の合理性を説明したいんですけど、司馬遼太郎さんは禅(を中心とした仏教)が嫌いなんですよ。当時の武士の精神の真ん中にあったものは禅(を中心とした仏教)なんですが、それを外して無理やり説明するために持ち出したのが「名こそ惜しけれ」と言えます。
実態にそぐわない、とても偏った著述なのです。
「名こそ惜しけれ」については
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でも書きました。
過去の日本人の「合理主義」を文化・宗教によらずに解説(しようと試みている)のが司馬遼太郎さんの著述の特徴で、禅を無視して「名こそ惜しけれで」すべて説明してしまうのはその典型の一つです。
また、今の日本人は東洋思想というと迷妄で格好悪いと思っているからそれを(無理やり)無視した著述が国民に熱狂的に受けたんですね。
それが「司馬史観」の事実にそぐわないとても大きな偏りであり、戦後の日本人の心や文化に多大なマイナスの影響を及ぼしていると考えています。
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