東京国立博物館 平常展 特集陳列 女性画家前期 その3

#その他芸術、アート

行って参りました。

ラグーザ玉は明治の洋画家で、夫に付いて行った先のイタリアで評価されていたもよう。
有名な代表作の「エロスとサイケ」は見事な技術と、普通の洋画にはあまり無い類の浮世絵的な動的な工夫が随所に散らばっていて、素晴らしい仕上がりです。
この人はいわゆる日本で洋画の大家と呼ばれている人達より数等上だと思います。

池玉瀾は池大雅の奥さんで「蘭図扇面」には「飽かず見む 咲そふ草の 露ながら 色香もふかき 秋のまがきは」という詩が添えられていて、愛情深さが伝わってきます。

葛飾応為は恐らく一番有名で「月下砧打ち美人図」は右で打ち出すバランスを、一瞬左足を投げ出すことで取っていて、女性の作業を描いたものとして極めて優れていると思います。

こっちは流石に名画ですけど、上手く場面を切り取っているといえば、みぃちゃんは家電ドライブ最終話はみんなを撮った写真とか、上手かったと思います!やっぱりなんか、こう、雰囲気がかわいらしいのがみぃちゃんの良いところだと思います。

最後の、車の可能性が広がった、というコメントもとてもよかったと思います!自然にしているとみぃちゃんの知的な部分が目立つと思います。

次の自動車部は記念写真の写真とか、凄くかわいらしく撮れていたとおもいます!風になびく髪の向こうに、繊細な、揺れる乙女心を感じさせるような雰囲気が、味だとおもいます。

すーぷかれーの9話は最後の笑顔とか、良い感じに瞳孔が開いていて、かわいらしかったと思います!

第10話は最後の居酒屋っぽい飲み方が感じが出ていました!
シリーズ全体として、大泉さんとのするするとした掛け合いですとか、他の人ではなかなか出せない味だったのではないでしょうか。

しかし、大島さんの凱旋公演とかみたんですけど、やっぱり桁違いにパワーがありますよね。みぃちゃんも精進してくださいね~。
横山さんって踊っている時はしゃかしゃか動くんですねぇ(あたりまえ)
しかし横山さん人気ですよね。冠番組もヤフーのニュースになっていたりして、大きく扱われていましたね。

イカ墨パスタは僕もこの前作りました!紋甲イカが沢山墨が入っているんですけど、良いのを安値で手に入れたと思ったら、捌いたら魚を三匹も飲み込んでいてビックリしました。

旅runガールはやっぱり北原さんの、腰が反り気味のポーズが少し気になります。お正月の徒競走の時も、走っている時の姿が腰が反っているのが気になったんですよね。
ヨガだったら赤ちゃんのポーズが有効だと思います。なんとなく丸まっていれば、きっと何とかなると思います。

羊羹を食べる北原さんは、とてもおいしそうでしたし、清らかな感じ、という横山さんの評価も和菓子を作っている人にとっても嬉しいものだと思います。
和菓子やばいよね、って北原さんが言っていましたけど、現代語n(以下略

柏木さんは、番組の書道で優勝おめでとうございます。
「黒」は墨より黒かったですし、決勝の字は一枚の中で構想を貫徹する構図センスと、破綻の無い勢いの表現がとてもよかったと思います!

小嶋さんは、なんか、こうちょっと、率直に言うと、不良っぽいのが改善できれば、テレビ界で末永く活躍できるかも。ほんわかしているんですけど、安心してそこに乗っていけないんですよね。

しかし書道の先生は、人をみて、字を選んでるんじゃないかしらん?

最後の横山さんのコメントはプロ級だったと思います!

柏木さんは、イトーヨーカドーのCMをみましたけど、雨の中だと光り輝いていると思います!歌番組のりのさんに振られたスイカの話も、何か勢いがあって良かったとおもいます。
りのさんもこういうのがぱっと振れるのが、やっぱりアイドルオタクっぽいですよねぇ。

先週のりのさんのいいともは香取君に同意を求めたあたりですとか、やっぱり何か、思いつめた感じだからなのか、喋っている雰囲気に相変わらず引き込むような華があると思います。瞬間最高視聴率の理由を感じさせます。
風邪を引いているのか声も変っていて、心配ですが、変にペースを崩さなければ大丈夫だと思うので、これからも肩の力を抜いて、楽しんでくださいね。

今週のいいともは田中さんが、スタジオ大混乱予告で、CM後に混乱していたためしが無い、ということですけど、これは私も非常に気になっていたことで、むしろ言って良いのかと(^_^;)

かつてのTBSの格闘技番組ですとか特に酷かったですけど、スポーツ番組で、過去の映像なのに過去の映像であるとテロップ流さない番組が増えていると思います。
きっとこういう視聴者に対する不義理の出来る人が、恐らく社内で「豪腕だ!」という評価を受けて出世できるようになっているのでしょう。他にも視聴者を細かく騙していく仕組みがテレビのいたるところにあり、そういう局の風土や、そういうテレビ局を生み出してしまう風土はとても問題だと思います。

どらえもんも声優に不義理をして、思いっきり改変したにもかかわらず、面白くなくなり、視聴率も低い模様。近ごろは変な線画が出てくるのも、ぬくもり補充しました、これで満足なんだろ?といった風な雰囲気すら感じられ、どうも視聴者を舐めているのではないかと思います。

しかも結局は依拠する所はひたすらに藤子不二雄のオリジナル、という創造性に発露の無さも非常に問題だと思います。紙媒体をそのまま持ってくれば売れる、というわけではないのは、ドラえもんでもサザエさんでも、証明済みだと思います。

誠実さの欠片もなく、果敢な創造性も乏しいという、すべての正価値の反対を合わせたかのようなテレビ局の現状は非常に問題だと思います。

山崎龍女は美術館めぐりを始めた頃に立て続けにみたのですが、それ以来とんとみない作家で、存命中はかなり流行っていた人なのだそう。描いた年齢が書き込まれているものが多いらしく「二美人駒引き図」は14歳の作品。着物の柄など精緻で、構図センスも抜群。技術的には既に卓越しているといえます。今まで観た龍女の作品の中でも状態・つぎ込まれていると思われる精力、ともにかなり高いものです。

「貞女不見二夫」という女大学の言葉が書き込まれていて、続いて「風になく 富士の煙の空にきえて
 行方も知らぬわが想い哉」という西行の歌が添えられています。

女大学は江戸時代の女権抑圧の象徴として名高いですが、実際はそれに程遠かったからこそ、男性側が押さえつけようとして普及させようとしたものらしく、夫より格式の高い家から嫁いでくる事が多く、共働きで経済力のある江戸時代の女性は強いです。

当時の格言として一姫二太郎という言葉があって、女性を最初に産んだ方が良いということですが、封建社会の格言として首をかしげる人が多いですが、養子社会であったのと、女性の生きやすさを反映したものであると素直に読んで良いと思います。
戦国の海外の報告にも、男はむしろ間引いてしまうのだ、ということがかかれているみたいです。

女性の地位の低下は白川静さんによると天智期。「中世の非人と遊女」によると南北朝が一つの画期らしく、以降また波を描きますが、古代においてはとても高く、江戸時代までは世界的にみてもかなり高かったもよう。それが明治時代で一気にどん底に達したものを、これから百年二百年とかけて、元に戻してゆくのでしょう。

こういったことからいっても、日本の女性を取り巻く現状は明治民法に原点があるというのが正しい認識であろうと思います。

絵に戻って、こういった教訓を内発的なものとして消化して、純愛的なものに変えている図だといって良いでしょう。ただ「行方も知らぬ」という句に愛情の行き先を失った詠嘆とともに、気持ちがどこに行くかはわからないというような雰囲気も入っているように感じるのですが、作意に適っているかはわかりません。

儒教というと、マニュアル的なものと思われますが、目指す所は「仁」であるとか「至誠」であるとか、言葉で表現できないものなんですよね。言葉はそういうものを掴む為のとっかりである、というのが正しい儒教の教えで、つまり目的は内発的なものを誘い出すことにあるわけです。
江戸時代の分析をみると儒教を教条主義的なものとして扱っているものがかなり多いですが、そういった「仁」であるとかを引き出すためのかりそめのことばの体系であった、ということにもっと注目するべきだと思います。

司馬遼太郎さんは江戸時代人を高く評価していて、その中の優れた人物の典型として高田屋嘉兵衛を「菜の花の沖」で書きましたが、何でこのような優れた対応を取れたか、ということについて、浄瑠璃が行動規範になっていたからだ、という結論を出すんですよね。
つまりマニュアル対応だったということなんですが、江戸時代の優れた精神というのはこういったことばを消化して「仁」なり「至誠」なり内発的なものにすることに成功した人が発揮したもので、決してマニュアル対応ではなかったと思います。幕末の外交や西郷などの諸藩の志士をみても、それは明確だと思います。そのことに注目することが、江戸時代の精神を現代に生かすための一番の肝だと思うのです。

司馬遼太郎さんは書いていなかったと思うんですが、えびす信仰を持ち、十一面觀音を奉納したこともあった嘉兵衛は、壮健な船乗りでもあり、そういった江戸時代の精神を内発的なものに消化した一人だったのだと思います。「信心深い高田屋嘉兵衛」(ロシア士官の見た徳川日本 243ページ)と書かれたとおりの人だったのではないかと思います。

ちなみに司馬遼太郎さんはそんなに浄瑠璃で良い対応が取れたというなら、現代人に浄瑠璃を勧めるかというと、勧めないんですよね。ここら辺も矛盾というか、不可解な捻れを感じるところです。

それにしてもこの人、農民だったのに名字帯刀を許されているんですよね。司馬遼太郎さんは江戸時代は固定化された身分社会だったが、医師などに針の穴のように立身出世の道が残されていた、といっていて、これは古い江戸観ですが、そういったことへの反駁の証拠の一つに嘉兵衛の生涯を出すことが出来ると思います。

中林清淑の「月梅」はざっくりとした水墨画ですが、粟粒の様な花の咲き方に女性らしい明るさを見出せるのかもしれません。

野口小蘋は細密な画風で、雪の描写はなんとなく牧歌的。阿波出身だというので、雪と厳しさが結びつかないのかもしれませんね。
「春秋山水」は青緑山水というジャンルらしく、葉っぱが青い木が生えていたりします。

学芸員の方の主体的な企画力をとても感じる展示で、後期も期待させていただきます。

他の平常展では1914年の小林古径の「異端(踏絵)」が維新後の目で江戸をみた作品ですが、当時はキリシタンの人も意外と平気で踏んでいたらしく、それとキリスト教徒が増えて国防的に結構危なかったとする最近の説を併せてみると、ロマンティシズムが薫る画面構成に違和感を覚えます。踏絵は後世に拡大されて見られているような気がします。

仏像では平安初期の「毘沙門天立像」が変った手の形で、垂れた手が半回転捻られて外側をむいています。重厚なつくりで、威信が溢れます。仏像という基準から観ますと、仏教の天部などのヴァリエーションは彫刻世界に豊かさをもたらすためという側面もあったのではないかと思います。

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