東京国立博物館 平常展

#その他芸術、アート

7月1日は新宿で四千人規模の野田やめろデモがあったそうですが、テレビで見る事はありませんでした。同じ日に1200人の避難者による「南相馬市原町区の住民主体の賠償終期問題等に関するシンポジウム」が開かれて、賠償終期の問題に対して政府への抗議を行ったそうですが、テレビでは取り上げることはしませんでした。何誌も呼んでいるわけではないので言い切れませんが、恐らく新聞もそうでしょう。

7月3日の報ステではコメンテーターの三浦さんが日本は司法と立法など社会の相互監視が至るところにあるが、原子力にだけはない、といっていましたけど、非常に見識を疑う発言だと思います。

国会が行政に対して役割を果たせていないのが、日本の長年の大きな問題ですし、銀行と財務省の間の相互監視はバブル崩壊後にもきちんと確立していないのではないでしょうか。今回の再稼動の理由にも財務省と銀行の一体化したありかたがあると言います。

AIJの問題も記憶に新し過ぎます。

新幹線や八ッ場ダムなども国土交通省からの再就職の利権確保が理由だともいいますし、手抜き工事との関係も指摘されています。

指摘していくときりが無いですけど、最も致命的なのは、マスコミと政府の間の相互監視の機能不全で、今日まで大本営発表を繰り返しています。

社会の中に相互監視が働いていないのが日本の致命的な所であって、さらに良くないのはそれをテレビ・新聞が自覚していない、もしくはあえて自覚しようとしていないことです。

その癒着のシステムの強力な粘着液が官僚の再就職であるとの認識のもと、個人個人の責任が浮き立つような形で報道してもらいたいと思います。

報ステでは以前に髭を蓄えたコメンテーターがいらっしゃって、今は大学教授をしているそうですけど、この人もやる気がなかったり、ごまかしたり、電波だったりといった発言をしていたんですけど、そういうのにどこか恥じらいが感じられたんですよね。この三浦さんという人はそういう恥じらいもほとんど感じられないのが特徴ではないでしょうか。

東京電力が福島で再稼動を狙っていると話題になっていますが、やはり経営を考えてのことでしょう。いままで拝金主義から来る問題行動はいくつもありましたが、致命的なミスは海水の注入が遅れたものでしょう。

原発の再稼動もお金が目的ではないということをはっきりさせて、その分の収入を返上するのが最低のことだと思います。

7月5日の玉川さんの広域処理の特集は良かったですね。一年前からいっていることの繰り返しの部分がありますけど、それは政府が黙殺しているからで、宮城県議会の声を届ける形で直接ぶつけたのは絶対に必要なことだったとおもいます。
埋め立ての規制についても、世界の潮流といった所を、ドイツだけですよね、と玉川さんが即座に切り替えしたのが調べが行き届いていました。

細野大臣は環境省の結論だ、という事を押し出していましたけど、宮脇さんの研究の蓄積の方が問題なく上だと思います。
こういう環境省の結論、とかこういったものに権威を感じ(ようとし)てしまうことが、民主党が官僚主導になってしまった原因の一つとしてとても大きいとおもいます。そもそも約束を破るのが論外ではありますが。

省庁の結論はそのレヴェルでは対立して厳しくチェックしていくべきもので、それを根拠に議論を進め過ぎるのは本末転倒だと思います。

ただやはり、島田市をはじめ利権関係が明らかになっているところは報道して欲しいですし、広域処理全体について、もっと突っ込んだ調べが欲しいと思います。流石の玉川さんも鹿島建設など、ゼネコンと直接対決はしづらいんですかね。そこまでやると、議論が拡散してしまうというのはあったと思いますが。

福井の大飯の市長にも原発利権が指摘されていますけど、原発に纏わる利権はテレビではまず流れない傾向がありますね。

それにしても、大臣と背後の官僚組織が、敗勢になってもメンツで現実を認めない日本軍と二重写しになったのは私だけではないのではないでしょうか。

直後に中国のパンダタクシーのCMを紹介していましたけど、イギリスなどに色々言われて中国も鬱憤が溜まっているのでしょう。
欧米も旧弊・矛盾が多い国で、進んだ欧米が中国の人権状況を指摘するという報道は偏っているといえるでしょうね。もちろん中国も改善するべき所がいくらでもありますが。

イギリスといえばマンUのホームページの香川の紹介がおかしいみたいで、ユーモアだとかみんないっていますけど、こういう十把一絡げにするのは差別的な内容だと思います。もっとしっかり見てちゃんと怒った方が良いと思います。イギリスは植民地の過去がありますから、人種(や地域による)差別を断とうという気が無いと思うんですよね。

さきほどのCMで茶化された、女王をのんきに祝える心性にも、階層を積極的に肯定する要素は結構多く含まれているのではないでしょうか。

ラジオでは山口一臣さんはまた人を見ないで政策をみろ、といっていましたけど、民主党が官僚と対峙できなかった理由について、力量がなかった、といっていて、結局は力量をトータルに見極めなければならないとご自身で仰っているのではないかと思います。

小沢についての実行力は鳩山政権に準じるもので、政策がベターだとして支持をするにしてもそこを見据えないと、民主党政権が成立した時と同じ様な偏りに陥ってしまうと思います。

上杉隆さんについても、嘘をついていた部分について、メンツで損切りができないなら、官僚と変らないと思いますよ。

まずは土偶のシアター解説へ。土偶の歴史がよく分かりました。かなり複雑で美術的価値が高く、縄目の紋を捉えた縄文土器という名前は、もしかしたら実際以上に素朴さを強調してしまうかもなぁ、と思いました。

解説の該博なお姉さんと土偶が対話をする形式で進めるのがほんわかとしていて、そのよどみない進行が不思議な位です。
キティちゃんが出てくるといつも中にめぐえんもさんが入っているのかいないのか激論になりますけど、そういう見事なスムーズさがありました。

抱一の「富士越龍図」は鑑定団に似た様なのが出ていましたけど、個人蔵とありますし、その図ですかね。
鑑定団のテレビでは印刷とかなかなかわかり辛かったりするのですが、少なくとも構図は本物だろう、と観た瞬間に思いました。

北斎の晩年の神品にも同じ様な作品がありますが、時代的にはどっちの方が早いんですかね。それともそれ以前からある画題なのか、、、、。ぐぐってみると、他にも北斎が抱一を参考にした作品があるとか無いとか。

広重の肉筆画の「真乳山図」が雪にけぶる山里で、はるけき風景が幻想的です。

噂の高円宮コレクションも展示されていて、全て新作根付。海外の作家の方のも含まれていて、清新な感覚がよかったです。ただこれだけみると凄いですけど、他の部屋に展示されていた江戸期のものも流石に凄く、細かさと躍動感で勝っているようにも思います。

明珍宗察の「自在置物 龍」が江戸時代の技術と遊び心の清華で、目玉展示らしく凄かったです。

遊び心といえば、6月30日のANNは最後の夏ばてにはどじょうも、というところが意味深だったと思います!(多分)まぁ、煮ても焼いても食えない、という言葉すら褒めすぎではばかられますが。
衣装はミント系の爽やかさが、観ていて夏ばてにききそうな感じでした!

7月1日のANNは目に入った瞬間、純白の衣装がきらめく様で、違う世界に来たような気分に包まれました!青とのこの目の覚めるような組み合わせは、本当に素晴らしいと思います。

いつもながら、スポーツの読みとか安定していて、明るくて、とてもよかったと思います!やっぱり良くないニュースを読まれると、とても悲しいんですよね。

香港はその昔、日本では人優先だけど香港では車優先なので気をつけた方が良い、という話を聞いたんですが、その香港の人達がデモの中で本土の人のドライビングマナーが悪いことを糾弾していたので、一体どうなっているのかと思いました。

富士山登山はお気をつけくださいね。富士山もコノハナサクヤヒメのような人を迎えてとても喜ぶと思います!

曽我直庵は蕭白のなんちゃって曽我派ではなく、本物の曽我派。新進の人が権威をもって、もしくは権威を跳ね返すために昔の流派を復興させるということはよくあることで、クラの古楽器派も同じ様な意味があるでしょう。
「龍図屏風」が気韻生動の極めて動的な屏風で、あんまり有名でない作家にこういう人がいるのは驚くべきことです。

新年にちなんだ龍の展示では岩佐又兵衛の「龍図」が深淵から覗き込むようです。

鍋島焼では「染付雪景山水図大皿」が精美の極み。孤高の出来で、この水準に達するのは並ではありません。

金工では村田整珉の「達磨立像置物」が風を感じさせる作品。

国立博物館に色々思いついた提言を書いてきましたけど、後もう一つ、本気を出すならば、触覚を中心に視覚以外を使った展示を増やすべきだと思います。陶芸を中心に触れる展示は欲しいですし、他には漁具などでも精巧なレプリカを作って、そのような展示をすると理解や記憶への残り方が違うと思います。

あとは、例えばアイヌの展示では壁にもアイヌ文化を実感できるような装飾を凝らすとか、そうすると展示物がより生きるような気がします。海のエジプト展じゃないですけど、箱自体を展示にするとか、遊び心を込める、といったこともとても面白いとおもいます。

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