(呉座勇一の交流の歴史学)中世の人生相談 武士の悩みに僧侶が回答

http://www.asahi.com/articles/DA3S12766152.html)の「戦闘の罪について「考えるな」と諭すのは助け舟でもある」というのは看過できない外れた解釈。

仏教は無を観ずるものであって、思考停止ではありません。

たとえばこれが真正の禅とヒッピーの違いです。

このことには(特に日本の学者であるならば)注意深くなければいけません。

日本人は仏教を卑小なものと考えているから、後者の解釈をして何とも思わないんですね。

禅僧の義堂周信と上杉朝房のやりとりは、善悪を超えた無心にこそ仏性があり人の本質があるという仏教の根本と現実と殺生戒との間の緊張感のある問答です。

とはいえここら辺の葛藤の具体的な歴史に私はそこまで詳しくないので今度勉強してみたいと思いました。

僧兵であるとか武家であるとか当時の仏教関係の人が武装をしたり殺生を犯すとすぐに精神的な堕落を結び付ける人が歴史学者でもほとんどでした(です)が、平和のありがたさを忘れ、彼らが生きた現実を軽んじ過ぎていると考えます。

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