(http://www.tv-asahi.co.jp/dap/bangumi/hst/news/detail.php?news_id=200173)の裁判で示された国の責任というのの中身を吟味すると、端的に言って「全電源喪失はあり得ない」といった安倍の責任は極めて重いですが、テレビはその映像を流さず国民を欺き続けます。
コメンテーターもこの基本を指摘することはありません。
「金額が多い少ないでもない」「勝ち負けでもない」とスタジオのマリ・クリスティーヌ氏。そんなわけがないだろ!打ち捨てられた自主避難者に「金額が多い少ないでもない」というのか。差別を受けているような人たちは放っておくのか。
原発政策に影響がない、といったいた菅の他人事のコメントを批判しないのか!
加えて「安全に対する情報を集めること」を「考えさせてくれる」てくれるとマリ・クリスティーヌ氏のニュースから外れる発言。いうべきことを言わないでほかにごまかしを求めた形ですが、ここでも政府の責任を問わなければならないのです。
情報は責任を問わないと出しません。たとえばSPEEDI隠しの責任を問わないとまた隠すのです。
いくら論点をずらしても氏がごまかしの、無責任の人物である事は変わりません。
的確に情報を集めて的確に批判するべきものを批判するのがメディアの仕事であって、情報を集めるのがメディアの仕事ではありません。その歪みは拝金主義による精神の腐敗によって引き起こされるものです。
情報は集めるから出てくるのではなく、出すように強く言って責任を問わないと出てこないのです。
準備されるのは次の犠牲者だ。
自主避難者は専門家にも「棄民」であるといわれています。「意見を反映させないとダメですね」とのマリ・クリスティーヌ氏の意見ですが、そんな軽い感覚で良いのだろうか?
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