寺島実郎は日本の右傾化は中国に対するコンプレックスだと良くある指摘。
私が考えるに、震災そのもの以上に、原発事故で社会全体が身構え硬直化しているのというのが理由の第一に来る。
つまりはこれも寺島実郎など原子力複合体の罪の一部なのです。他人事ではなく主体的に罪を背負えと言いたい。
また、寺島実郎は当時の公は今の公共とまったく違うものだ、といっていましたけど、果たしてそうだろうか。
公共という概念、もしくはその使われ方の中に戦前的な公がそれとはなしに温存されてきたと考えるのです。
戦後の「知識人」でとみに「公」を重視したのは。寺島実郎も好む司馬遼太郎氏です。
司馬遼太郎さんの「公」の定義は茫洋としていて、氏の思想から推論するしかありませんが
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で私が指摘したような沖縄に対する思想。
言語の世界など、平準化を進歩とみなすような思想。「文化」を「文明」の不完全なものとする思想(これは中央の優越を結論とする内容です)。
こういった中にふわふわとしたかたちで戦前の「公」が知られずに内包されて来た。それがまたインスタント麺にお湯がしみ込むように露骨に顕在化してきたのが今の状況だと考えるのです。
戦後の「公」は同調圧力に近い響きを持っていたと思います。
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