東芝と日本郵政の巨額減損の「戦犯」、西室泰三の飽くなき権力欲 その3

#a未整理

記事から思うのは人間これほど肩書に執着できるのかということですね。
なにか技術的・人道的な夢はなかったのかしらん?道を踏み外すとどこまでも墜ちていきます。

司馬史観でも江戸時代はほぼ政治的上昇の道が閉ざされていたというだけで、きわめて閉鎖的な時代だったと結論されています。(最近の研究では政治的分野についても流動性が指摘されています。)
福沢諭吉の史観を受け継いでいるともいえるかもしれない。

しかし、豊かな可能性をもって文化史に名をいまだに燦然と輝かせている人物は(ほぼ身分を問わず)たくさん輩出しています。

そういう意味では多くの人にとって可能性のある時代であった。

(戦前・)戦後の日本にそういう権力的な肩書がすべての価値のような時代があった。それがこの時代の史観・小説に反映されているように私は思います。

そのような下地に西室氏のような人物は生まれるべくして生まれたといえるでしょう。

それは文化軽視、人間軽視の思想であって、それがバブル崩壊という非文化的な時代のカタストロフィーを準備します。

そしてそれはいまだにもって現代の問題であって、病根は増すばかりです。

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