ゴーン氏逮捕でフランス社会から見える、日本の「集団手のひら返し」
ゴーン氏逮捕の報道をフランスから見ていると、日本では専門家、評論家、一般の方々が発信する情報量がとてつもなく多いと感じます。筆者が注目する点は、なぜ今回のゴーン氏逮捕が日本社会で、ここまで一斉にネガティブなトーンで、高い関心を持たれているのかということです。一企業の一経営者、しかもいまだ容疑に過ぎないにもかかわらずです...
という記事もありましたけど、
以前も書きましたけど、徳治主義というのは、いってみればノブレス・オブリジュのことであって洋の東西を問わず普遍的な統治形態であると考えます。儒教のみの特殊な価値観とするのは無理があるといえます。
例えばビルゲイツやザッカーバーグは寄付をしていなければ社会的に今より強い批判にさらされていただろう。
寄付をしたという話を聞かないゴーンはフランスをはじめとした海外でも強欲だという批判が強い。
一方で日本にそのように寄付やそれに相当する社会的貢献をする経営者は聞いたことがない。日本が徳治主義という特殊性に覆われているとするのならこれは矛盾では?
そもそも徳治主義の国で安倍晋三が首相を務めるなどということがあり得るのか?
日本の特殊性を炙り出して西洋に身を置く自分の眼から批判しようという試みのようですが、牽強付会で実直な事実の積み上げに欠けるといえます。
またこれも繰り返しになりますが、それに日本社会にはそもそも儒教の影響はほぼ残っていないといえるのではないか。論語なんて誰も読んでいませんから。
(特に3文目であるとか)それにしても今時よくこんなオリエンタリズム丸出しの文章を書いて恥ずかしくないなと嘆息するばかりです(そういう人は多いですが)。日本人が書けば差別にはならないとでも思っているのだろうか。
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