(終わりと始まり)危機意識「永遠にゼロ」 池澤夏樹

http://www.asahi.com/articles/ASG2X46Y5G2XULZU00D.html

「船橋は、これを日本固有の文化の問題と捉えてはいけない、と言う。」

という指摘に対して

「国土の脆弱(ぜいじゃく)性だけでなく、文化と国民性から判断しても、他の国はいざ知らず、我々は原発を動かすべきではない、と。」

反論したもの。

文化の問題にすることの危ないところは過去に責任を押し付けて本人たちは無責任に振る舞うことです。

江戸時代は責任を取る社会でしたし、戦前の市井でも、現代とは全く違う責任意識を多くの人が持っていたという証言を聞きます。

まだしも「文化と国民性」の前に「現代の」ということばを付けることがコラムニストの素養として求められています。

知る限り、文化に責任を押し付けることを批判しているのは、国会事故調に対する海外の声と私自身以外には船橋洋一氏が初めてですね。こういう声をもっと強くしなければ、いつまでたっても無責任の連鎖が続くと考えています。

ただ船橋氏もおそらく近世以前を積極的に評価できなかったために、このような池澤さんのような反論を招いてしまったのでしょう。そこは課題と言えます。

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