失われた平等を求めて 経済学者、トマ・ピケティ教授

 

ピケティは当たり前のことしか書いていない、という話しも聞いたので、どうなのかと思っていたんですが、元旦の朝日新聞のインタヴュー「失われた平等を求めて 経済学者、トマ・ピケティ教授」(http://www.asahi.com/articles/ASGDS4G49GDSUPQJ003.html)を読むとやはり冴えている印象。

冒頭の

「その通りです。あらゆる社会は、とりわけ近代的な民主的社会は、不平等を正当化できる理由を必要としています。不平等の歴史は常に政治の歴史です。単に経済の歴史ではありません」


という部分からして、核心に迫っています。

日本では福祉国家を目指すべきだという論調が昔から一定量あるのですが、こうするべきだという現象面だけで、なぜそのようにならないのかという議論がありませんでした。

そういう意味では私が良く指摘している司馬遼太郎さんの(表面的には例えば文化を推進していながら、文章の裏側に文化が推進されないような思想的な構造が埋め込まれているという)「捻じれ」に近いものが論壇全体にありました。

少なくともこのような根本的な原因を指摘したものは長らく新聞を読んできて一度もみかけたことはありません。


前に指摘しまたけど日本においては「貿易立国」という虚像はその理由の一つとして使われてきたものでしょう。「持たざる国」も同じく。




日本での「格差」は英・仏語では「Inégalité」(不平等)という、という話もそういう不平等の理由付けの文脈で示唆的。




「民主主義の運営は、欧州全体という大きな規模の社会よりも、デンマークのような500万人くらいの国での方が容易です。」

はいわゆる小国寡民を思わせる記述。この古典の言葉自体に国民の意見を国に反映させやすいという意味は濃いでしょう。

日本には本来なら運営しやすいアドヴァンテージがあるのに生かしていない、という指摘が以下に続いているように思います。



「日本の政府は消費税を永遠に上げ続けるようにだれからも強制されていない。つまり、もっと累進的な税制にすることは可能なのです」

とのことですが、日本の国民は「この道しかない」のもとメディアが完全い管理下に置かれていて、不公平な税制であることすら知らされていないのです。すべては福祉のためだという悪意に基づいた誤報をずっと流し続けるのです。


また、上げる理由に海外からの目を強調する人たちの意見は虚妄だということでしょう。国内での私欲を達成するための嘘に他ならないのです。



「私は、もっとよい方法は日本でも欧州でも民間資産への累進課税だと思います。」とのことですが、政府とメディアはひたすら逆行を続けます。



ただ、文中では「社会的国家」と「福祉国家」の違いを「教育に積極的に関わる国です」と差別化していますが、福祉国家と言われている北欧諸国は教育にも手厚いですよね。雰囲気はわかる感じはしますが。

加えて、国際的な課税は具体的にどうやるのか、と言うと難しいようで、フランスらしい遠くの理想を現代で紡いだ人と言えるのかもしれません。

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