(安倍政治 その先に)有権者を考える 何となく肯定、変わらない日本 斎藤環さん

「(安倍政治 その先に)有権者を考える 何となく肯定、変わらない日本 斎藤環さん」

とのことですけど、万歳三唱が近代にできたものだというのは有名です。

日本の前近代性を強調してインタヴュアーの「うわぁ、絶望的ですね。」というコメントを導いていますが、調べないで雰囲気でなんでも前近代に分類して責任を押し付ける「知識人」が多すぎます。


こういう人たちに付ける何か良い名前はないですかね?「なんちゃって近代人」とか。

どぶ板選挙ももちろんできたのは近代ですけど、これをヨーロッパでやらないのは階級社会で政治家が庶民と触れ合うという前提が無いからじゃないかと思っています。そしてアメリカは広すぎるのでしょう。(2020年2月現在サンダース候補は戸別訪問で支持を伸ばしていますが、これは彼が平等志向の候補者であることと無縁ではないでしょう。)

あれだけロビー活動をやっている欧米と比べて、日本の選挙がこの要素を持ってのみ劣っているとは思いません。

青島幸雄の選挙は全く選挙運動をやらないというこれの逆でしたけど、これを未来の優れたやり方だと感じた人は少なかったでしょう。

じかに触れ合う選挙は選挙民との心の触れ合いを作るという点で、良いものなのだと思います。

必要なのは選挙民がその部分に必要以上に流されないことです。


こういうことをやっていると、日本近代というものに対する反省が正しく出てきません。安倍政権を取り巻くように形成されている明治主義と表裏一体のものと言えます。

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