6月8日 所JAPAN

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では磯田氏と千田氏が最近発見された京都新城を解説。
東京ドーム7個分とのことで、そんなに大きかったのか、と思います。

秀吉はこの城で天皇や公家を抑えることによって、豊臣家を公家として存続させていこうとしていたと磯田氏。

秀吉は人を殺すのが嫌いとかおおよそ武士文化の人じゃないですよね。どちらかといえば公家の方が性に合っていたのでしょう。しかしやっぱり中世・近世では公家はトップになれないですよ。

秀吉の死後、城を引き継いだ北政所が側室の子供である秀頼を嫌いだったので壊してしまったのではないというのが磯田説。

この城を西軍が接収できていたら歴史は変わっていただろう、と千田氏。

多分、京都新城にそのまま秀頼が住んでいればよかったんでしょうね。



聖徳太子については仏教を将来したことで疫病も来てしまい一家が全滅し自らも死亡。日本では疫病が蔓延。それでも疫病に対する政策を打って国民の信頼を集めたとのこと。
聖徳太子は目に見えない疫病から国民を救うことが政治の役目であると考えていたとのこと。
これは安倍政権批判ですね。

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