英雄たちの選択「天下無双の名将・立花宗茂~関ヶ原敗戦・奇跡の復活劇~」 その1

国内番組

は人気の戦国武将立花宗茂について。

宗茂ラヴということで、中野氏の表情がふにゃふにゃしていておかしい。連歌蹴鞠茶道香道何でもできて素晴らしいとのこと。
宗茂は中野氏が嫌いな上杉謙信とかと同じタイプだと思うんですよね。なぜこのように対応が違うのだろうか。

九州の高橋紹運の籠城討ち死には何度観ても意味がないと思うんですけどこれは禁句なんでしょうか。秀吉が来るまで九州を確保したとも言われますが意義が感じられない。当時の戦士として引くことはできなかったのでしょうけど撤退すればよかったのに。

関ケ原本戦は立花宗茂がいればその時は西軍が勝って長期戦になったのではないかといった感じの話。家康は宗茂のいないこの時を狙って動いたとのこと。

選択は関ケ原合戦後の大坂城。籠城するか九州に帰るかの二択だ。
これをやるための前振りとしての立花宗茂だったのかなという感じですね。

加来氏以外の三名は九州帰還を選択。物理的にはやれるはずなんですけどいかんせん毛利氏らがやる気がない。大きな歴史のifのようで実現性は本当に薄そうですね。
この時毛利氏は家康の所領安堵の約束を信用していたのかどうかが気になりますね。

みんなべた褒めしている割には部下タイプの猛将で総大将の器ではないというようなことを口々に。そういう立場にずっと置かれていたからこそなんでしょうけど、確かにそれはそうですよね。本人も2000人ぐらいを率いるのが向いていると自分で言っていたとか。

磯田氏は大坂城に籠城した場合、家康に京都の天皇を持っていかれることを心配していましたけど、この当時どれくらいの権威だったのでしょうか。大坂の陣でも存在感が薄かったですよね。仮に朝敵にして大坂方の戦意が落ちるなら家康はやっていたでしょうけど私はそういう話は聞いたことがないのですが。実際調べてもやっていないようだ。
天皇を中世も一貫した権威とみなすのが司馬史観のフェイクの一つの特徴なので後継者の磯田氏の発言として気になるところだ。(司馬遼太郎のそれはおそらく戦後危なかった天皇制の危機を乗り切る権威付けの役割を果たした。)

逆にいうとやはり家康が大坂の陣でこのような戦法を取らなかったことが天皇の権威が大したことが無かった証明になるのでしょうね。

コメント

タイトルとURLをコピーしました