また、熱狂して一つの方向に行ってはいけないと半藤氏。これも良く言われることです。これは司馬遼太郎的な史観でもあってよく人口に膾炙されており
「元号にとらわれる私たち 作家・門井慶喜」
元号にとらわれる私たち 作家・門井慶喜|好書好日
原武史『平成の終焉』(岩波新書) BMC『特薦いいビル 国立京都国際会館』(大福書林) 平松洋子編著『忘れない味 「食べる」をめぐる27篇』(講談社) 原武史『平成の終焉(しゅうえん)』は、平成が終わってから読もうと決めていた。この...
といった文章を読んでも影響が濃いです。しかし私は悪い方向へ走ったのがいけなかったという議論は悪い方向に行ったという事を直視して責任の話になることを避けるために、戦後の日本はみんなで走ってはいけないという結論にしたのではないかと考えているのです。
夜警国家が方向性を決めて刑罰まで導入したら誰が走らない意思を表明できるだろう。この反省も「一億総懺悔」の一部であると考えているのです。
責任を近世以前の日本人に押し付けるために「攘夷」という「(創出された)ファナティックな日本人」の型にはまる類例も求められましたが、当時の歴史を観ていると日本人が攘夷になるのは致し方がないことですし海外に威嚇効果があり日本を守る実効性が高かったとも言われています。悪いのはあくまで戦争当時の日本人なのです。
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