NHKスペシャル 戦国 激動の世界と日本(1)「織田信長×宣教師」

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の再現映像では相変わらず信長は西洋甲冑なのですがそれでよいのでしょうか?それにしても西洋甲冑はオーダーメイドであると聞いたんですがそうだとしたら信長の甲冑もオーダーメイドだったということになるのでしょうか。

長篠で使われた信長の鉄砲の鉛はタイ産とのこと。

番組はバチカンの秘蔵の資料を特別に閲覧することを許されたとのこと。
西洋は世界の国々を布教による精神的征服とセットでどんどん征服。インドではキリスト教に従わないものは拷問もしていたとのこと。
日本では信長に目を付け、日本をキリスト教国にするために宣教師が信長に物資をたくさん渡していたとのこと。
信長軍の不可解な強さはこれに由来するんですね。
現代で言えば宣教師がソフトバンクで信長がアリババといったところか。

宣教師の一番の敵は仏教徒で信長は石山本願寺を10年かけて倒したとのこと。宣教師はそのためにキリシタン大名高山右近を信長に加勢させたのだそうです。
延暦寺を焼き討ちしたのもそのためなんでしょうね。

安土城の横には安土城と同じ青い瓦が許された神学校が立っていたのだそうです。

何かほとんど信長が宣教師の傀儡にしか観えなくなってきましたね。

今回の資料によると秀吉は信長に宣教師たちは日本を征服するつもりだと注進したのだそう。勘のいい男です。
信長はメリットを重視してリスクに目をつぶっていたのだそう。
当時の日本のキリスト教人口は10万人程度とのこと。

日本では火縄銃が刀鍛冶の技術によって強靭になり飛躍的に性能をアップさせていたとのこと。イノベーションが起きていたのだそうです。

宣教師たちは日本をキリスト教国にした上でその日本の軍事力を使って、明を征服させてそこもキリスト教国にしようとしていたのだそうです。

慶長・文禄の役では少数の日本軍に明・朝鮮の大軍が蹴散らされる場面が何度も出て来ますが、低い軍事技術なりに人は頑張ったのだと思う。

やがて信長は自らデウスと称し始め宣教師との間に亀裂が生まれます。この時信長は日本語ではなんと言ったんでしょうね。「God」だったのか「a god」だったのか気になるところです。後者だったら誤解の末の不幸な亀裂といえるでしょう。

この亀裂はどれほど決定的だったのだろう。

「明智光秀「本能寺の変 原因説50 総選挙」3万人の“推し説”投票結果発表!【#HNG50】」

明智光秀「本能寺の変 原因説50 総選挙」3万人の“推し説”投票結果発表!【#HNG50】
明智光秀はなぜ織田信長を討ったと思いますか?

にも入っておらず、聞いたことが無いですけど、これだと本能寺の変も宣教師の日本征服の野望を挫くために光秀が信長を倒したと解釈する余地も出て来るのでないでしょうか。麒麟は確かに日本を救ったのだ(?!)
(追記:実際の「麒麟が来る」は四国説がメインだった模様。)

本能寺の変があって秀吉になったからこそ日本は西洋の魔の手から救われたのかもしれない。

やがて本能寺の変が起こり宣教師勢力は秀吉が後継者争いに勝つと踏んでキリシタン大名を山崎の合戦に結集、恩を売ります。

山崎の合戦でキリシタン大名が非常に目立っていたのは偶然ではなかったんですね。

秀吉が統一したころには日本のキリスト教人口は30万人くらいになっていたとのこと。

秀吉は宣教師を利用しつつ警戒し周到に立ち回ります。まずはバテレン追放令を発布。また、明を征服したがっている宣教師たちに、明を征服する足掛かりである朝鮮征伐に物資を提供させキリシタン大名に前線を務めさせます。
朝鮮征伐の目的はキリシタン大名の力を疲弊させるためだったとのこと。
ああなるほど、だから子飼いの加藤清正は辺境を行く二番隊を任されて大した抵抗に遭うこともなく満州まで抜けたんですね。一方でシビアな戦いを続けた一番隊隊長の小西行長も三番隊主将の黒田長政もキリシタン大名だ。特に強大な大名でもないこの二人が何で主将なのかも疑問だったんですがこれで筋が通ります。朝鮮はキリシタン大名の根拠地の九州に近くておあつらえ向きですよね。
全て秀吉の計画通りだったのだ。

番組は慎重で明を征服しようとしていた宣教師たちと明を征服したい秀吉の意向がたまたま合致した、と表現していましたけど、最初から宣教師ありきの計画で、その意欲を利用する形で攻め、勝っても負けてもどちらでも損は無いと考えていたのではないでしょうか。
ただ後世から言えば少なくとも耳を功績の印とするやり方だけは何とかならなかったのかと思いますが。

朝鮮では秀吉得意のやり方である自軍を温存する戦法が見られないですし、とにかく戦えとせっつくだけで勝つより戦うことが目的であるかのような指示の出し方が特異だなと思っていたんですよ。キリスト教勢力への対抗ということであればすべてが合理的な判断であったと筋道が通ります。
三成は恨まれて七将襲撃事件が起きますが、本当なら恨まれるべきは兵の損耗を目指した秀吉自身でしょう。
別に後半生の秀吉は秀長が死んだ後に暴走したわけではなかったのだ。

そう考えれば、千利休もキリスト教とのかかわりが深いと言われていますよね。秀次もキリシタン説があるようです。ここら辺も触れて欲しかったですね。対キリシタンということで一貫していた可能性があります。

それにしても番組で紹介される宣教師たちの日本征服の野望を示す言葉は直接的で過激だ。まずキリスト教を布教して日本人の心を盗むのだということ。バチカン・西洋はいまだに日本で死んだ宣教師たちを讃えていますけどこのような侵略者を讃えてよいものでしょうか。

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