では徳川家康が抑えた佐渡銀山を現地調査。当時世界で最も大規模な銀山であったとのこと。昼夜交代で掘り続けたのだそうです。
どうも石見銀山以上のようですね。調べると佐渡銀山は世界遺産登録運動があるらしい。
当時の世界通貨の銀を独占していたスペインを切り崩すためにオランダが日本に接近していったとのこと。
難破したオランダ船を保護して家康は武器を入手し、圧倒的な火力で関ケ原の戦いに勝利。これで勝ったんですね。
ここでオランダ人を殺すべきだというスペイン人とオランダ人の言い争いが史実ではあるのですが、面白い話なのにカットされていましたね。
キリスト教布教からの日本征服をあきらめていないスペインと手を切りオランダと結んだ家康。
これがスペインとオランダのヨーロッパでの争いでオランダをスペインに対抗しうる勢力にしたとのこと。
当時オランダは世界で突出した性能の大砲を所持しており、これを家康に売却。
大砲入手が大坂城攻めの決断の決定打だったのだろうか。
一方でスペインは豊臣方と結び布教を許可する豊臣秀頼に協力。大坂城に物資や人員を提供します。どうも集めた牢人衆の中にキリシタンがたくさんいたような解説のされ方でしたね。
大坂城発掘に従事する千田氏は大坂城内でその鉛によって弾丸が作られていた証拠の作りかけの玉を示します。
真田丸も鉄砲・弾薬・弾・兵士がいないとそもそもどうにもなりませんしね。スペインの齎した物資を使っただけとも解釈できますね。
籠城下の大坂城には明石全登のようなキリシタンがいて、禁教下の徳川治世で息苦しくなって入城したのかなと私は思っていたんですけど、スペインの求めに応じたもっと積極的なものだったのでしょうね。
そう考えると加藤清正のルソン貿易も秀頼ルートなんでしょうね。秀頼が直接取引をすると家康に睨まれるので清正を介していたとかありえるのではないでしょうか。
清正が輸入していたのは一つは硝石ですけどとにかく火薬の原料の硝石が日本では採れないので、日本の勢力の軍事力は海外勢力に依存せざるを得ない。スペインなどが支配的なキャスティングボードを握っている由縁ですね。
もし豊臣方がこれに勝ったり、そうでなくとも徳川と豊臣が並立するような事態になっていたら日本はキリスト教に染まってスペインの侵略を招き、とんでもないことになっていた可能性が高いですね。
この前「英雄たちの選択 「加藤清正・熊本築城~秘められた関ヶ原逆転の戦略~」」では徳川幕府と豊臣公儀の並立の未来を探っていましたけど、そうなったら再び宣教師に付け込まれて、それこそ西洋に征服されていた可能性も出て来るかもしれませんね。
この代理戦争に徳川・オランダ方は勝利し世界戦争でもオランダが優勢に。まさに日本は世界史の最前線だったとのこと。
日本には宗教戦争が無かったと言われることもありますが、戦国日本はまさに宗教戦争だったといえるのではないでしょうか。
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