(http://www3.nhk.or.jp/news/html/20170530/k10011000711000.html)は所轄官庁から言われてやるというのは気持ちが無いということです。
美人な子ですよね。ピアノはすごいですし。妬みがすごいんだと思う。
同じような感じで、生駒さんとかも、美人過ぎるので周囲から妬みがあったのでは。
何度も繰り返されるのはもう言わずもがな、いじめを無いことにしてもみ消せば出世できる仕組みがあるからです。
いじめがあることを前提とした仕組みを作らねばなりません。
それは恐らく文科省・教育委員会側もわかっていると思うんですよね。ではなぜやらないか?それは「面倒くさい」からだと思う。
仏教的に言えば「懈怠」です。
なんで「懈怠」が起こるかというと良心と共に、つまりは根源的な生命力が不足しているといえます。仏教的に解釈すれば、それは煩悩に覆われているために人間本来の良心・生命力がふさがれているからです。
何も学ばずに自由勝手にやれば生命力が沸いてくる、というものではない所にはくれぐれも注意してください。
それに、本当に「道徳」教育をやるのであれば、存在そのものの尊さ、尊厳を教えなければいけません。それがいじめを根本的に減らします。
https://shakaitsuugan.work/2013/02/10/53327790/
文科省など日本の教育行政がこのことに気が付き実行に移すまで、毎日無駄に日本の子供が、国が損耗し続けます。
コメント