ゲストは東京の都市の研究家の清水健朗氏。
日本橋の景観問題になりましたけど、高速を無理やり取り払おうという人は江戸に戻したい人で政治性を帯びている。高速道路は高度経済成長のエネルギーが感じられてよいじゃないか、という主張。
そういう「保守」派の保守的な心性が取り払おうという運動になっているというような話で、石原慎太郎が大江戸線をごり押しで名付けた、彼は江戸に戻したい人だとのこと。
ぐぐってみると大江戸線の命名経緯については諸説があるみたいですし、日本橋の景観をあのまま放置して意味不明な案を出していたのは石原慎太郎なのですからこの問題について筋が通りません。
私は江戸時代の長所を汲み直すべきだとい常々言っていますが、江戸といってもその人それぞれの江戸像があり、なにを投影しているかは違うことには留意しなければなりません。
江戸時代像自体がドラスティックに変化しており、その学問的な一種の混乱が拍車をかけています。
その社会の正確な理解と長所・短所の把握は欠かせないものです。
江戸というのであればば何でもよいという気持ちは毛頭ありませんし、そこは注意をしてもらいたいと思います。また批判する人もその多様性に留意を払うべきなのです。
しかし、日本橋の景観を戻したいという人は、日本橋は明治に作ったものなのだから明治に戻したい人なのでは?
それはともかく東海道の起点としての重要性こそが日本橋なのですから、日本橋の概念が江戸起点になるのは自然なことだと思う。
今でも外国の人も含めて東海道を旅して日本橋で旅を終える人は多い。そういう人が終点にたどり着いて感動できる日本橋にするべきでは。
高速を見て、高度経済成長のエネルギー凄いなぁ!と感動するのかどうか。その粗雑さに環境問題やバブル崩壊・原発事故に至るモラルハザードを読み取り恥じるべきではないかとすら思うのです。
それこそイデオロギー的に解釈すれば、その昭和をやたらに美化する昨今の風潮こそが私の憂慮するものなのです。
私は取り払うのに賛成です。
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