は特別企画「今だからこそ聞き直したい! あのゲストとのスポットライトをもう一度」とのことで、最初のゲストは池上彰氏。何度か聞いたもので、2011年3月19日の放送です。
原発事故は日本の言霊信仰のせいという主張。「安全」と言ってしまった時に言霊の力が働いてそれを検証しようとしなかった、とのこと。
ちょうど
と逆側からの言霊主犯説でもはや「言霊」といえばなんでもありです。
こういう伝統があってそれが間違えを産んだというのであればもっとその伝統が強かったであろう近世なり中世なりにこれこれこのようなことがあって言霊信仰によって例えば外交に失敗したとか戦に敗れたとかそういう歴史的事実を掘り起こして検証する責務が最低限あると思うんですよ。
そういうのを全くしないで言霊信仰によって失敗したと言い切る非科学的な態度が理解できません。
実際は東電といういう巨大企業が振りまくお金による癒着が検証をさせなかったのです。
「言霊」という池上さんの横で久米さんはさらっとこのあらましを指摘。
久米さんはジャーナリストですよね。池上彰さんはぜひ久米さんの爪の垢を飲んでほしいですけど、それくらいでは治らないでしょうね。
こういうのを仏教用語で無明と言います。
言霊といって利権を指摘せずに適当にごまかせばあとはテレビでふんぞり返っていればよいのですから楽な職業ですよ。
7月30日の「池上彰のニュースそうだったのか!!」でもバングラディシュのテロについて日本人は巻き込まれただけといっていましたけど、日本人と名乗って殺されているのです。
日本政府の政策によって日本人の安全度が低下した末に起った事件であることは間違えないのです。
日本人に指一本触れさせないといった安倍の失政を指摘するべきではないか。
次もかつての放送の名作選。ゲストの千葉すずさんは同じ匂いがするということでずいぶん気が合うようでしたが、きっと池上さんにそういうものは久米さんは感じないのでしょうね。
その次は半藤一利氏との対談で憲法改正について。やっぱり久米さんは本当の意味でジャーナリスティックですよね。
しかし、半藤さんって昔基準だと「保守」で実際私は随分軍部に甘いと思っていたんですよ。こういう戦争の教訓が打ち捨てられようとしている危機に戦中派の干城のごとく必ず普通に出てくるようになって世の中の位相のずれを本当に強く感じます。
「当時は軍部が天皇の官僚であって政治家は全然力が無かった」「天皇の軍隊と天皇の官僚」が日本を滅茶苦茶にした、とのこと。
GHQは天皇の軍隊は潰したけど天皇の官僚は潰さなかった。その時に国民の官僚になってくれればよかったがそうはならなかった、とのこと。
戦後日本というのは全く違うようにみえますけど戦前のものが名前を変えただけで残っている。官僚が日本を統治している、とのこと。
半藤さんのいいところはこういう風に官僚に対する根源的な批判が一貫していることだと思う。
それはやっぱり司馬遼太郎さんの編集者をやっていたことが影響しているんじゃないかと思います。司馬遼太郎さんが軍部に持っていた問題意識を現代の中で展開しようとすれば必ず官僚の問題に行き当たるということなんだと思う。実は全く変わっていないことがわかるんです。
私の官僚観にもそういう問題意識を持つ流れがあって、思想的に兄弟じゃないですけど、恐縮ながら同じものを感じますね。
ただ、司馬遼太郎さん自身は現代で官僚に対してそこまで言うことはなかったと思いますけどね。
(ちなみに司馬遼太郎さんは日本の官僚主義を江戸時代から連続したものとして捉えているんですけど、これは歴史的に調べてみると抜擢のされ方など全くの別物です。
私は日本の官僚主義の正体は明治以来の福沢諭吉主義だと思うんですよね。)
(そして司馬遼太郎さんがそうだったように半藤さんも処方箋があんまりないんですよ。そういった問題の周辺も今度アップしていきたいと思います。私はいつも処方箋は「東洋の理念」であるといっています。)
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