(http://www.asahi.com/articles/DA3S12366126.html)はリスクを語らない日本の社会を言うと不吉だという言霊信仰の名残としています。あしをよしと言い換えるゲン担ぎ程度のことは聞きますが、果たしてそれをリスクを語らない理由としていたことがあったかどうか。例えば戦国時代にそのようなことがあっただろうか。
「前近代の何か」のせいにして実際の癒着の構造・責任を批判しないのは丸山眞男以来の日本の論壇に顕著な話法。特に大手新聞社の論考には多いのではないですかね?
ここで語られている東京一極集中は首都機能移転以前に地方置き去りにした政策によるものです。
それは旧産業にしがみつき再エネによる地方創生などをやらない政府の責任であり、それを批判しないメディアの拝金主義によるものなのです。
コメント