9月15日「ワイドスクランブル!」

#その他文化活動

15日の「ワイドスクランブル!」では佐野氏の事件に関して、デザイン関係者の座談会を開催。

修正前のエンブレムはヤン・チヒョルト氏のデザインのパクリであるとプロならだれでもピンとくるとのこと。この場にいた4人全員がすぐにわかったのだそうです。

匿名でも誰のデザインかは大体わかるということで、佐野氏ありきの選考会だったのではないかということ。

選考委員会はパクリなのを承知で佐野氏だから選んだのだと思う。そういう結論にならざるを得ません。

そして、パクリだとわかるとまずいので、変更を迫ったのでしょう。

原案に日の丸のコンセプトが無いというのが衝撃的だったと座談会。

「途中でコンセプトが変わった」んだねと言っていましたが、そもそもコンセプトは存在していなかったという表現の方が正確に思います。佐野氏にとってコンセプトとはその場その場ででっちあげるものなのでしょう。

今回の応募資格は国際的な主要な賞を2つ取っていることというものでしたが、佐野氏は主要な国際的な賞を7つもとっているということでまさに無敵。歴史上のデザイナーをすべて兼ねているような感じなのでしょう。

本人の線が一本も入っていないことも問題視されていて、これはどこの世界でも偽物師の特徴でもあります。かつての韓国のかっぱえびせんに類似したパッケージのようです。

ネットの声が厳しいということで「マスコットとか応募する人がいなくなるんじゃないか」ともいっていましたけど、今回のことは悪意の塊であって、善意の類似と比較するのはあってはならないでしょう。明確に線を引かなければならない所です。

座談会の中にもやっぱり若干名おかしな考え方の人がいるなぁ、という感じ。やはり業界の病気でもあるのでしょう。

選考委員会を選んだ人間までさかのぼって調べなければならないとも座談会で一人が言っていましたけど、その通りだと思います。

原発の原子力政策円卓会議などを筆頭に、いくらでもありますが、この委員の選定で全てレールを敷いてしまうのが日本の官僚のやりかたです。そこに癒着があるのが決まりきった構造です。

座談会中、カットされたのか憚ったのかそういう発想がなかったのか「広告代理店」というキーワードは出てこず。テレビではタヴー中のタヴーといって良いでしょう。

選考の過程が閉鎖的だった、という反省が出てきましたが、なぜ閉鎖的だったのか。その根本の原因に広告代理店という言葉を出さずに迫ることは全くできません。

デザインの変更を迫ったとされる焦点の人物である森喜朗の名前も出てきませんでした。

一部の報道で森の動きの背後に電通の要請があったといわれていますが、常識的に考えて森が単独の見識で変更を迫るとは考えにくい。誰かが要請したのは確実だと考えられます。

森の名前が突然出てこなくなったのは、森を出すとその背後にいる電通に触れざるを得ないからではないか。

「やっぱり選ぶ方が悪いということがわかりました」と大下容子さん。たしかにそのとおりですけど、やっぱり佐野氏の罪は見逃すことはできません。都であるとか今回のことで被害をこうむった組織・人は佐野氏に対して損害賠償請求を出すべきだと考えますが、そのようなことは誰も行っていません。これは無責任です。

また、他のデザイナーは佐野氏ありきの選考に出品させられた格好なので、本来なら損害賠償請求を起こすべきだと考えます。

ただ日本の談合体質のデザインを取り巻く環境ではそのようなことをすると勝っても負けても仕事が来なくなってマイナスにはなってしまうのでしょう。

こういうことがあると必ず「和の精神」などとくっつける人がいますがこれは談合の精神であって和の精神ではありません。

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