は加島卓さんの70年代以降アートディレクターの名前そのものが消費行動を刺激するものとして扱われるようになった、という指摘は面白いです。
有象無象の人がこういうのが面白いんじゃないかと言って作っていくというよりは、「顔」で仕事をする時代になったということじゃないかと思うんですよね。
ちょうど原子力発電が導入されたのがこのころ。ソニー幹部はこの頃から大企業病の兆候が表れ始めたと証言しています。
戦後のある種の自由な時代が終りを告げ「ハリボテ」な時代になったことが、デザインをはじめとした業界にもこのような形で表れていたのではないか。
ネット社会では、いいものがわからないからとりあえず悪いものを探してしまう、という話も示唆的。
これは音楽ではSPやLPの普及期から議論されていたことです。
ミスというのはわかりやすいから品質の低いところとして指摘しやすいんですよね。だから何度も再生されてみんなに突っ込まれる録音にはミスのない演奏を求めるようになってくる。
しかしそれを指摘することで全体として高い価値を誇っているものの価値がみえなくなってしまうことはないのか?ミスをしないことばかりを考えて命の入っていない音楽が増えるのでは?そういうことがたくさんあるのではないか?
という問題意識の強い業界が音楽界であるといえます。
大きく広げると、日本のみならず世界に広く存在する減点主義と繋がることですが、そういった形で評価されるものがインターネットで広がって行き、ついに商業デザインに到達した、ということが起きているのではないか、と冒頭の言葉を聞いて考えました。
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