11日の「ニュースエブリィ」は「避難指示解除どう思う 川内村の2人に聞く」(http://www.asahi.com/articles/CMTW1409080700001.html)と同じ指示の解除についてやっていましたが、帰りたくてパタパタしているお年寄りを取り上げるのみで、コメンテーターの鎌田實医師も含めて慰謝料支払い打ち切りの事実は伝えず。
破綻処理をしないがために東電の節約のために解除してしまったのだ、という視点は当然のごとくなし。
鎌田氏は除染をしたら若者も帰ってくる、といっていっましたが、除染をしてから解除すべきであって、順番を間違えています。
とべさるの冒頭では「ネオナチ」問題を。問題のないところが無いくらいで、何から問題視すればよいかも、砂場の砂を見るかのような感覚にさせられますが、とりあえずは身体チェック機能が完全に無いところは注目しておくべきなのでしょう。
「昭和天皇実録 史実解明へ一層の情報公開を」(http://www.yomiuri.co.jp/editorial/20140909-OYT1T50028.html)は何も新出はないと言いますし、まさに大本営発表なのでしょう。
大正天皇の実録は黒塗りが多かったそうですが、だからこそもしかして実際の記録が残っているのでしょう。黒塗りは仰々しいですが、こちらの方が誠実だったのかもしれませんよね。
報ステの「SPEEDI縮小の理由は…」(http://www.tv-asahi.co.jp/dap/bangumi/hst/news/detail.php?news_id=39618)では責任についての話しはなし。個人単位で家まで押しかけて責任を追及するべきなのがメディアの本来なのに、全くやりません。事故時に存在を知りつつ質問もしなかった(NHKは一部を流していますし、個人で拡散予測を活用している人もたくさんいたときに放送局が知らないというのは合理的な説明ではありません。)のに加え、非常に罪が重いサボタージュです。
恵村コメンテーターは「使いこなせなかった」という事実を曲げつつ誰も非難しない表現を使用。やはり国と一体化していますから仲間は非難できないということでしょう。
解体できる主体は恐らく公表できる主体でもあるでしょう。今回解体しようといっている人たちが全財産を被災者のために供出して責任を取るのが最初にするべきことです。
縮小する会議を開いた事実を会議から3か月後に公表したという規制員会の責任も問われるべきでしょう。
「こんなオジサンでごめんなさい 元PR1号さん一問一答」(http://www.asahi.com/articles/ASG994KB0G99UCVL00P.html?iref=com_rnavi_srank)は職員として名を売って、今度は作家として宜しくということでしょう。
公共のメディアで職員が自分の宣伝をしていたということになるわけで、倫理的におかしいと思います。
同等の知名度を得るために必要な私的な広告費を計算すると相当な額になるのではないでしょうか。
勤務中に独立の準備をしていたということであって、みていた人は社員の独立の前準備に加担させられていたということにもなります。
公表はツイッターのアカウントの性質を貫徹するという観点からも大いに疑問と言えます。
公共放送を使ってしきりに自分の名前を押し出していた今井彰氏に近いものを感じさせるのです。
「NHKでは、「全員が絶賛する番組は、問題提起をしていない。反対意見が半分あるような番組が、一番真ん中を貫いている」とたたき込まれます。」という部分は、人数で可否を判断するというのはおかしいです。
竹中平蔵も近いロジックを使って自分を正当化していましたよね。
社内の報道の惨状にもかかわらず、それに関知しないで、人の気を集めて楽しんでいるな、という印象でした。やれやれといった所でしょう。
11日のそもそも総研は「そもそも原発は “安いから使う” ということではなかったのか?」ということで、高い原発は電力自由化で市場で生き残れくなるので価格を保証しようとしているという話。
これはイギリスの制度をそのまま持ってきたもので、軽薄。原子力ムラがなりふり構わず食いついた感じ。何も考えずにそのまま持ってきた1Fの事故の総括がここでもなされていないのではないかと思います。
古賀茂明さんは官僚が原発は安いというのに国民は騙されていた。「安い→大切→維持」するという論理だったのが理由が抜けて「大切→維持する」だけが残った、とのこと。
確かに官僚は嘘をついたでしょうが、今回は論点として間のメディアが抜けています。端折ったのか、メディアで活躍していると言いにくいのか。
電気料金から還流した巨額の広告費漬けの大手メディアはずっと安いと言い続けたばかりか、事故が起こってなお原発は安いと連呼しています。当然安全神話も同時にふりまいています。
謝罪会見を開く所か、いくら懺悔して財産を供出しても許されるものではありません。大手メディアはすべてまずは解体されるのが本来ではないか。
このことこそまずは処罰を伴って会見を開いて謝罪するべきではないか。
今、朝日の会見が話題になっていて、苦境に陥っているという観測もあります。
しかし、大手メディアには私が書いてきただけでも数えきれないくらいの大きな過失があります。朝日はそれを一切合財謝罪してしまうというのはどうだろう。
そうして問題を明らかにすれば逆に謝らない各社にプレッシャーがかかり攻めの手になるのです。
新聞社の公益性の観点からも踏み切ってもらいたいもの。
そもそも総研に戻って、新設を前提にしているのが明らかなこの制度ですが、経産省に聞いてもそれは誤解だというばかり。
経産省側は多分感情的にはならないという方針を決めてインタヴューに臨んだと思うんですけど、最後はヤンキーが威嚇するような雰囲気になっていましたね。感情のコントロールもできない。
経産省やその他省庁などは本当に○○な人の標本のような状態になっていると思います。
玉川さんも詭弁の集合体相手にお疲れなものです。
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