「C・ロナウドに「選手生命の危機」…主治医が本人に伝えたと報じられる」(http://mainichi.jp/sports/soccer/soccerking/archive/2014/06/19/202485.html)は怪我が無くとも、腹筋の鍛えすぎであんまり輝けなかったでしょう。けがの原因もそういったことが関係しているかもしれません。
ネイマールはなんだかんだ言って、少し精神的に弱いところがあるように思います。
「原子力専攻の受験者数増加…再稼働方針が影響か」(http://www.yomiuri.co.jp/national/20140628-OYT1T50103.html)は
「【「原子力」入学者16%減】今春、原発事故が影響/「原子力ルネサンス」一変」(http://www.47news.jp/47topics/e/228181.php)と一見情報が真逆なんですが、どうなっているんでしょう?
受験者数は増えたけど、入学者数は減ったということでしょうか。
「(ザ・コラム)原発事故 小鳥の異変と科学の役割 上田俊英」(http://www.asahi.com/articles/DA3S11164966.html)はテレビでは全く取り上げられない視点。これだけのことが起こっているのにその部分を全く伝えないというのは、極めておかしなことです。事故全体に対する国民の認識を誤らせます。
「電力会社9社の株主総会で“脱原発”否決」(http://www.tv-asahi.co.jp/dap/bangumi/hst/news/detail.php?news_id=38900)では、吉田調書の公開を求める声に対して、広瀬社長は吉田調書と他の人の証言が食い違うので検証を進めてきた、とお茶を濁しましたが、存在そのものを伏せていたのだから詭弁です。
「(論壇時評)僕らの民主主義 少数派からの「ありがとう」 作家・高橋源一郎」(http://digital.asahi.com/articles/DA3S11161033.html?iref=comkiji_txt_end_s_kjid_DA3S11161033)には
「もしかしたら、わたしたちは、「正しい」民主主義を一度も持ったことなどないのかもしれない。「民主主義」とは、ドイツの思想家、ハーバーマス〈7〉の、想像力を刺激することばを用いるなら、一度も完成したことのない「未完のプロジェクト」なのだろうか。」
とありますが、立憲主義とそれと一体の民主主義が危機に瀕している時に随分の暢気な民主主義の進歩を語っているなぁ、と感じざるを得ない記事。
ここでは未完だからということでわずかにずれていますが、「わたしたちは、「正しい」民主主義を一度も持ったことなどないのかもしれない。」といって欧米と比べ、言っている本人は自分を欧米の側において日本の民主主義を批判するのは宮台真司さんをはじめよくあるパターン。
それが、今になって日本が戦後築き上げてきた民主主義を守ろう、武器輸出をしない平和な日本を守ろう、といきなり言い始めても全く説得力が無い。
評価するべきところを評価しつつ改善するという過程を怠ってきたのではないか。
今の棄民主主義的な政策は明らかにそういった、外に自分を置いて一方的に日本の民主主義を批判してきた言論の流れの延長線上に存在していることを指摘せねばなりません。
宮台さんは2・26事件の将校に非常に共感していることで有名ですが、彼らも自分たちを日本の外に置くことで自分たちを価値づけして正当化してきた人たちです。
外務省主導の集団的自衛権にしても防衛省主導の武器輸出にしても財務省主導の消費税にしても全官僚主導といえる特定秘密保護法にしても、戦前の将校と似たようなバックボーンをもつ官僚が主導しています。
そういう意味で言っても、当時の右傾化と現代の右傾化には非常に共通した部分が指摘できます。
「(あすを探る 科学)美味しんぼ騒動、見えたもの 平川秀幸」(http://www.asahi.com/articles/DA3S11161032.html)は、この問題を科学的に取り上げるとするのに、鼻血はないとする報道に対する科学的な反論に触れず。
過程が不十分なのではないか系の記事で風評被害の話題なのに、その中核的問題である「食べて応援キャンペーン」などには触れず。
科学?
チェルノブイリ事故の影響を「心理的・身体的影響」と記述していますが、そのような婉曲な表現を取らずになぜ「鼻血」とそのまま書かないのか。
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