プロメテウスの罠の「震災と皇室」は石原慎太郎の「とてもじゃないけど僕はダメだ」という発言が極めて恥ずかしいもの。
自分には心が無いと白状しているようなものだ。よくこんなことをぬけぬけといえるな。
プロメテウスの罠の「汚染水を止めろ」の回は議題から言っても四方をなぜ囲わなかったのか、という部分が注目ですが、特にたれの責任ということは書いておらず。前後は曖昧模糊としています。
「東電は粘り強く、ぶれずに、最後に自案を勝ち取った」という官僚の証言を載せていますが、このように国の命運を左右するようなことをけちってやらずに、ごねただけで、ぶれないなどという言葉は軽々に使うべきではありません。この認識自体も極めて問題です。
全体として、破綻処理との関連で語られなければいけないこの問題について、そのような部分は無し。何故東電が債務超過を回避しようとするのか、原因を読者は知ることはできません。
同じくケチったタンクのずさんな作りについても言及はなし。文字数は多いですけど、報道としては失格です。
「プロメテウス」はたとえば食べて応援キャンペーンを電通が請け負っていて、広域処理キャンペーンを博報堂が請け負っていましたことをやっていましたが、そうであればそれを踏まえた報道体制のあり方の改革であるとか、「風評被害」などに関する報道のしかたがあるはずです。
取材で掘り起こされた事実が紙面全体に全く影響していないように読めるのも問題です。ここで書かれている内容を踏まえれば取材や記事の重心が然るべき位置に変わるべきなのです。アリバイ作りの一環としか言えないのではないか。
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