吉田照美さんが東京新聞の鎌田慧さんのコラムを引いて7月15日のラジオで伝えていましたけど、「2013/07/09 「原発賛成?反対?」プラカードを持った市民は「犯罪者」なのか ?表現の自由侵害行為についての記者会見 」(http://iwj.co.jp/wj/open/archives/89619)
しかもそのプラカードは職場に送られて戻されたらしく、警察もグルなんでしょう。原発デモ前まで日本ではなぜデモが起きないのか、ということが「知識人」の間で取りざたされ、民度に答えを求める考察が圧倒的でしたが、これでデモをしようというのは余程の捨て身の人です。まずは政府のデモに対する姿勢を厳しく批判してから、論を立てるべきでした。
デモに対する報道姿勢も問題(という言葉では生ぬるすぎますが)で、この問題もさらには、大手メディアが全く伝えないのが一番まずいと思います。
「tpp反対は左翼」発言なども、その問題性は鉢呂発言の比ではありません。このニュースがイギリスのウェディングの話題より報道時間が短いというのはあってはなりません。
記者クラブやそれに付属する会議・飲み会・旅行・広告・電力債などで拝金主義に陥っているのではないでしょうか。
それにしても安部の支持者は国の恥だと思います。
「パウエルら5人薬物違反」(http://www.nikkansports.com/sports/athletics/news/f-sp-tp0-20130715-1157529.html)
「Aロッド薬物問題で後半戦から出場停止へ」(http://www.nikkansports.com/baseball/mlb/news/p-bb-tp2-20130711-1155482.html)
と立て続けに出て、少し前には「自転車=アームストロング、「薬物なしでツール制覇は不可能」」(http://jp.reuters.com/article/sportsNews/idJPTYE95S01E20130629)
がありましたけど、スポーツ界の薬物汚染は深刻です。中野浩一以降あまりにも日本の競輪界は影が薄かったですが、こういう状況は相当効いているでしょう。
「ジーター「ヒデキ大好き、これからも」」(http://www.nikkansports.com/baseball/mlb/news/p-bb-tp2-20121229-1065661.html)
と松井は日本で思っている以上でメジャーで評価が高いのだそうですけど、薬物を使わずによくぞあれほど打った、と思われているのだそうです。
メジャーでダルビッシュが日本に向けて筋肉の大切さを強調していますけど、アメリカのこういう背景は見逃せないでしょう。スポーツ選手として鍛えるのは当然として、やはり一番には、合理的な体の使い方を追求することで、日本の野球界はレヴェルの向上を図っていってもらいたいもの。それが武術文化などを持つ日本の伝統ですしね。そうすることで思想的にもドーピングの方向に選手全体が流れにくくなるのではないかと思います。
佐々木主浩が、そこらへんで気軽に筋肉増強剤を打っていた、と証言していますけど、とんでもない状況です。
いまだにきっと、筋力増強剤を使い合った上での勝負をメジャーではやっているのではないかと思いますけど、そんな中で特に日本人投手。黒田・ダルビッシュ・岩隈・上原の活躍は異常だと思います。
相撲では稀勢の里は負けて舌打ちを繰り返していましたけど、あれは人前でしてはなりません。このような品格では本来としては横綱ははるか彼方といえるでしょう。
稀勢の里には荒川強啓さんはずいぶん期待していたみたいですが、期待するほうもされるほうもといいますか、そんなに期待するものなのですね。
日馬富士は負けが込んでいますけど、不用意に張り手をしたりするからですね。
無理やり小手投げに入ろうとした取組もありましたけど、あれ危ないんですよね。魁皇の得意技でしたけど、やるべきではありません。けがをした相手もいましたよね。
相撲はルールがざっくりしていますけど、いちいちパンチをしてはいけない、というようなルールはないんですよね。それはやはり日本の中の暗黙のルールで行われてきたからであって、そういう小さな世界でやっている良さが出ていたと思うんですけど、必死に勝ち上がりに来ている海外勢には必ずしも通用しないのでしょうね。
相撲においては、相手を痛めつけないのは大原則です。親方もちゃんと指導をしているのでしょうか。
そういう風に考えると、千代の富士が舞の海を叩きつけた有名な取り組みがありますけど、ああいうのはすでにおかしかったといえます。
7月15日の午後6時15分ごろのスーパーJチャンネルでは福祉課が脅迫された事件をやっていて、大谷コメンテーターが批判もあるが、と前置きして、だから警察から福祉事務所への再雇用は必要なのだ、といっていましたけど、普段から警察と市役所の連絡を密にすれば、OBではない現役の警察官の助けを借りることができるでしょう。
税金の無駄遣い、利権に対して、このように擁護しよう擁護しようという態度をとり続けるのは報道とは呼べません。
そしてその根源は、政府に意見を言わないことで(厳密にいうといっているふりをすることで)得をする大手メディアの構造にあるのです。
「<広島死体遺棄>逮捕の少女LINEに書き込み「殺害した」」(http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130716-00000079-mai-soci)は「だーい好き」とブログに書き込んでいたことが話題になていますけど、それとは裏腹に二人の間は実際には仲が良くなかっという話も。
「Rの法則」の少女漫画の名言スペシャルで一位になった名言を名越康文さんが、今の子は友達を作らなくてはという強迫観念にさらされている、そんな中でいちいち確認しなくても友達である、というこの言葉が一番の共感を集めたのでは、と分析していましたけど、そういった学生を取り巻く環境が関係している事件であるということはほぼ間違いないでしょう。
こういう言葉でいちいち確認し合うコミュニケーションは日米の夫婦のありかたを比べる際によく話題になりましたが、アメリカのように、愛している、とか、その都度いうべきだ、ということをいう論者も多かったと記憶しています。
もちろん文化・言語の差はあるんでしょうけど、これはやっぽり不自然だと思います。心の段階でのつながりが脆いものなので言葉で繋げている、という面は強いと思います。
もちろんそもそもが疎遠で、言葉も飛び交わないのではどうしようもありませんが。
そういう意味では「精神のグローバリズム」に巻き込まれつつある、という表現もできるのではないかと思います。
かつての日本人は無言の中に心を通わせ、深い関係を築き、互いを思いやる能力を確かに皆が持っていたと思うんですよね。そういうものが壊れてきている(壊れきっている)ことを示す、象徴的な事件なのではないでしょうか。
7月17日のおはよう寺ちゃんでは、IAEAには日本人のポストが必ずあるのだそうですが、アメリカの原子力ムラが日本を仲間に入れておくための策略であるということを。それは外務省のポストで、そこを通じてアメリカの意向を聞いてくるのだそうです。天野之弥事務局長ですとか、重要なポストをもらっていますけど、日本人がやっているから核に対して厳しく監視しているのだろうという錯覚を与えかねず、広島・長崎の被爆者をはじめ、先人の犠牲・努力を食いつぶして虚栄に替えている行為ではないかと思います。
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