サントリー美術館 生誕250周年谷文晁 第一展示期間 その4

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7月14日のサンデーモーニングでは寺島実郎三井物産戦略研究所会長を呼んでいて、原発の汚染水問題について。
国が再稼働をしようとしているのに民主党が規制側の原子力規制員会から原子力ムラと呼ばれる人を排除してしまったから、国の政策と実行しづらくなってしまっている、といっていましたが、原子力規制委員長の田中俊一は原子力ムラのど真ん中と目される人で、官邸前デモで激しく抗議されたのは記憶に新しいです。(といってもテレビをはじめとした大手メディアには載らなかったので、あれだけ激しくても知らない人は知らないでしょうが。)

原発輸出を進める一方で日本は原発を使わないという矛盾を解消しなければならない、と主張。選挙で争点として問うべきだとのこと。

関口宏さんが、電力は足りていますよね、と振ると、原発をとめていることで、国富が6兆円流出している、と平然と嘘データをしゃべります。このように簡単に嘘をつく人間をコメンテーターとして一方的にしゃべらせ、訂正もしないTBSは原子力ムラの虜となっており、報道をやる気がないといえます。

次のコーナーでは婚外子についての法律改正についてやっていましたが、田中優子さんが、江戸時代では夫婦別姓だった、養子も違和感なく暮らしていた。伝統的な結婚制度を守る、というが伝統を知らない人が言っているのではないか、と指摘。横で寺島実郎会長が不満気に体をゆすっているようにみえます。

伊藤博文の子供は芸者さんや女中さんの子供が多かった、とコーナーの最初で言われていましたが、こういう風に権力者が手当たり次第に好き放題ににやるようになったのも明治以降なんですよね。ちゃんとそのことを調べて報道しないと「伝統」について誤解を招くでしょう。

上記の人たちが言う伝統も、明治以降にできた風習を特に学術的に調べもしないでなんとなく伝統と呼んでいるものなのだと思います。

「風を読む」では原発問題の風化ということを取り上げていましたが、このようなことをしゃあしゃあと言って振り返らないメディアの体質は腐っていると思います。田中優子さんが言う通りメディアの責任が重大です。毎日必ず避難されている人がどうしているとか伝えるべきで、人に注目しなければいけない。責任の問題でも個人に注目しなければいけない、といっていましたがまさにその通りです。

吉田所長の映像も出ていましたが、東電本社の人間の言葉遣いが本当にひどいと思います。現場軽視の風潮が映像に現れていると思うのです。それは技術者軽視であって、事故につながる大きな原因の一つであったでしょう。

寺島会長は現場の技術者が本当に(福島原発の型である)マークⅠの構造を理解していたのか、といっていましたが、ベントができないなど、構造を理解する云々以前のことであるといえるでしょう。

扱い方が悪かったといわんばかりで、そこを改善して再稼働に繋げていかなければいけないということを話し、不審に肩をゆすっていましたが、やはり言葉の内容というものは態度でわかるものです。

神里達博さんはゼロ戦とグラマンを比較して、日本は熟練した人が操作しないと性能を発揮しないものを作る、としていましたが、これはどうか。

日本は確かに熟練した人が操作をすると威力を発揮する道具を作る傾向があり、弓は誰でも扱いやすい中国のボウガン系の弩に対して、和弓は熟練した人が遣わないと真価を発揮できないんですよね。そしてその時は弩に対して性能的に優位であるといわれています。

また、日本刀も反りをうまく使えないと所定の性能を発揮することができず、そもそも抜くのが難しいでしょう。中国は肉厚の青龍刀で叩き斬ります。

和船も流されやすく洋船に劣るという評価をされていたのですが、近年の調査によれば、潮や風をうまく利用できれば洋船より高機能なのだそう。

ただ、当時の身体能力の高い日本人なら普通に使いこなせていたともいえるでしょう。

しかし、原発について言えば、アメリカの原発技術を直輸入しただけであり、福島原発は違いがないといえます。

また、誰もが扱えなくてはいけない場面で、誰もが扱える技術を提供する、ということはまた別の知恵でしょう。国民性でこのような問題を扱うのはピンボケで疑問です。

吉田所長の英雄視を疑問としていましたが、個人の力ではどうにもならないといったところの改善を求めるならば、たとえば本来は「チェルノブイリの10倍の事故になるところだった」といったところを引いて、普段からの対策を重要視し、きわどい事故だったことを知らせるべきなのですが、この人の言葉を含めて番組中全く出てきませんでした。

この発言は科学と人のバランスの中で、人の偏重を戒める提言だったと思いますが、私は明らかに「人」が不足していて、そのせいで最低の科学的な積み上げや知見も守られないという見方が重要だと思います。

岸井論説委員は例によってぼんやりと徹底的な調査を訴えましたが、徹底的な調査ということでいえば、検察の怠慢を指摘しないのは怠慢です。

「国、事故後も「安全」PR 原子力広報 まだ存続」(http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2013071590070138.html?ref=rank)は論外すぎますが、私も含めて、慣れてしまわないで、誰の責任をもってこのようなことをやっているのか追及する姿勢が大切です。この東京新聞の記事にして個人名は出てきませんが、問題だと思います。

壊れたオルゴール、というと綺麗になってしまいますけど、なにか壊れた機械が無機的に回っている印象。

「「原発」つぶやき突出 世論調査と「ねじれ」も」(http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/news/CK2013071302000129.html)という記事もありましたたが、これからみても、原発を争点の第一に持ってこない報道は偏向していますし、外してしまうようなものに至っては論外で、拝金主義という表現以外のことはできません。

7月15日のモーニングバードでは「名古屋・中2自殺、「いじめ」うかがわせる回答複数 全校生徒アンケート」(http://sankei.jp.msn.com/life/news/130714/edc13071413200001-n1.htm)をトップで取り上げていて、尾木直樹さんが教師たちの感性が衰えている結果だ、といっていましたけど、システム的な面と合わせて、その通りでしょう。

これはおそらく教育界が抱える問題が突出した事例として表れたもので、同じようなことをしている教師は多いのでしょう。
教師がしっかりと生徒を指導しなければならないところで、歓心を買うために迎合してしまう。時には一緒になっていじめてしまう、ということがあるんだと思うんですよね。生徒との対立を避けて、そういう調子を合わせている中で起こった、事件・発言だと思うのです。

当たり前のことで書くのもはばかられますが、教員免許を取る過程で、生徒の人気取りのために迎合してはならない、駄目なものはだめだといわなければならない、ということを重点的に指導する必要があると思います。

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